baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 バス事故と運行距離670km

 一昨日の関越道のバス事故のニュースが引きも切らない。大型バスが縦に切り裂かれてしまったあのショッキングな映像と、7人という大量の死者が出た重大な事故だから已むをを得ないのだが、連休だというのに何とも心の晴れないニュースが続く。この事故の関連で、国交省が貸し切りバスの運行指針にしていたと言う一日の走行距離670km、走行時間9時間までは運転手は一人でも構わない、という条件が俄に脚光を浴びている。殆ど例外なく疑問と批判である。こういう事になると臆面もなくメディアに登場する専門家とか識者と称する学者が、相も変わらずテレビでしたり顔で喋っている。末生りの学者には670kmなどという距離は想像も付かないのかも知れないが、誰もが異口同音に国交省を批判している。しかし、バスは足回りは柔らかいしその運転席はかなり座り心地が良いので、同じ距離と時間を走るのならば、自家用車よりも相当疲れは少ないと思う。
 しかし根本的に、僕は安全は距離の問題ではないと思う。国交省の担当者は距離は1日の運転時間、9時間から算出したと言うが、運転時間の問題でもあるまい。先ず、こういう問題は個人差が非常に大きい。たとえば僕はそれほど頑健には出来ていないけれども、それでもバイクで1日800km程度は気合いが入れば普通に走るし、それで異常に疲れたり危険な目に遭う訳ではない。しかし800㎞が他人に強制できる距離でないことも十分承知している。これが個人差である。
 ところで大型車は、高速道路の走行でも滅多に追い越しを掛ける訳ではなし、比較的低速で刺激の少ない定速走行を続けているから、椅子の座り心地が良い分高速で眠気に襲われたら半端ではなかろう。そういう時、トラックなら次のPAまで頑張れば良いからまだしも、バスは乗客の手前そうも行くまいから定めし大変な苦労だと思う。更に、夜間走行となれば絶対に普通の尺度では測れない。先ず、疲れが昼間とは格段に違うし、夜間は風景が見えないので昼間に加えて遥かに刺激が減り、一層退屈と疲労が増す。つまり、昼間も夜間も指針の数字が一緒というのは理屈に合わない。或いは昼間の走行であっても、クラッチ付のマニュアル車が未だ一般的なバスでは、渋滞の酷い時は距離や時間に関係なく非常に疲労する筈である。更に体調の問題もある。僕の場合、ツーリングの日は朝が早いから前日はなるべく早く休み、出来るだけ睡眠を取る様に心がけるが、プロではないから必ずしもその通りのスケジュール調整が出来ない。また時間調整は予定通りでも、上手く寝られない事もある。そして、前の日の調整が上手く行かなかった時は、翌日はどうしても眠気に誘われたり集中力が散漫になったりして休憩が増える。
 結局僕は、これだけの条件を一律に距離と運転時間で縛る事には無理があると思うのである。運転手の個人差や道路状況、走行する時間帯の問題などもあるのだから、一律に指針だとか指導だとかで縛るのは如何なものであろうか。そして、今回の如き極めて悲惨な事故と居眠り運転という余りにもお粗末な原因を反省として安全係数を大幅に上げてしまえば、コストが高く付いて折角の庶民の足が高嶺の花になってしまうのではないか。従い、こういう変数の多い問題は一律の条件では縛らずに、最低限の押さえは押さえるとしても、後は個々のバス会社に、事故が起きぬ様に厳重に自己管理させ工夫を凝らさせる方がよほど現実的であり実効性が高いと思う。管理の方法は運転手の性格や体力も加味し、最新のIT技術を駆使した各バス会社の裁量で良い。その代わり、バス会社には事故を起こしたらそれが運転手の責任であれ会社の責任であれ、事業免許の即時取り消しや重い罰金を課す、或いは規模によっては代表者に個人補償を求めるなどの厳罰を加える事で、日常の管理を徹底させるのである。そもそも指針を出して幾ら安全指導に励んでも、多くのバス会社はその指導をきっちりとは守っていなかったらしいから、国交省の指針は殆ど意味を成していなかった事になる。「ちゃんと指針があったのだが、きちんと守られていなかった」と言う官僚の保身のような行政が如何に実効性に乏しいかという良い見本であった。