baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 スホイの旅客機がボゴール郊外で墜落

 昨日、インドネシアでロシアの中型旅客機がデモ飛行中に墜落した。ロシアのスホイ・スーパージェット100(SSJ100)と言う中型旅客機が売り込みの為にジャカルタに来ていた。その飛行機にインドネシアの航空会社や政府関係者、報道陣など50人が乗り込み、ロシアのクルー8人と共に離陸した直後に、ジャカルタの南方約60kmにあるボゴール郊外のサラク山に激突したもののようである。墜落直前にロシア人パイロットから降下の許可を求めて来たが、山があるので管制官は降下を許可しなかったと聞く。因みにサラク山はインドネシアに確か8つ程あると記憶する3000m級の高山である。熱帯の山だから3000mあっても一年中雪は降らない。インドネシアで頂上付近に雪が降るのは、パプアニューギニアにある4000mを超す山だけである。だからサラク山は頂上まで緑で覆われている、こんもりとした山である。ジャカルタからもよく見える山で、僕が駐在中には自宅の窓から朝夕眺めては、日々癒やされていた山である。
 スホイと言えば思い出すのが、メガワティ大統領の時代にインドネシアが10機購入した戦闘機の商談である。スハルト末期から米国との関係に多少軋轢が生じていたので、当時は米国が対インドネシアへの武器供与を制限していた。航空機の部品も売らないので、インドネシア空軍のF16は部品不足で半分ぐらい飛べなくなっていた。そんな折りにロシアが接近して、機種は忘れたがスホイの戦闘機を売りつけた。総額3億ドルと言われた大型商談である。いま日本が買おうとしている最新型のF35が元々は90億円だから、当時の旧型機で、しかもロシア製で1機30億円は今から思うと随分高額である。メガワティが亭主共々モスクワに乗り込んで決めて来た。その商売の見返りにメガワティの娘が10%のリベートを取った、と当時買い付け交渉に同行した政府の高官がすっぱ抜いたものである。10%ものリベートを抜いたりすれば、そもそもの値段も高くなろうというものである。しかしその話はそれきり有耶無耶になってしまった。
 僕は従来ロシアの旅客機といえばツポレフというイメージであった。その昔ポーランドベトナムで乗った国内線も、ジェット機は例外なくツポレフであった。当時、ツポレフは耳が痛くなるので嫌いであった。それが今は、スホイにも旅客機が出来たようである。このSSJ100はソ連崩壊後初めて開発された旅客機で、ロシアも航空機産業再建のシンボルとして期待しているのだと言う。それで、既に戦闘機で馴染みがあり、17000の島を抱えて航空機の需要が旺盛な島嶼インドネシアに早々と売り込みに来たものであろう。未だやっと今日になって山中に散乱する機体が見つかったところで、事故原因の究明はこれからだが、乗員、乗客58名は全員絶望だと言う。気の毒な事である。