baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 韓国旅行(4)

 今日、明日と、引き続き韓国観光案内の証拠写真をアップする。
 土曜日の昼食後に友人と別れて、ホテルで貰った地図を片手にひたすらソウル北部を目指して歩き始めた。ところが地図が極めて大雑把だったので、知らぬ間に三清胴(サムチョンドン)の入り口に着いていた。三清胴も行きたい場所だったのでそれは良いのだが、道順が初めから予定から逸れてしまった。通りの入り口は門前の市の雰囲気であった。もっとも余り位置関係が良く分かっていないから、間違っているかも知れない。

 そこから随分と急な坂を上って行くと、韓流ドラマのロケでよく使われる、韓国の旧い街並みが残っていると言われる北村(ブッチョン)に出る。しかし北村の家々は既に建て変わっている物の方が圧倒的に多いようである。それでも、日本人向けの観光案内書を見ると、多くの韓流ドラマの撮影場所がこの地域に集中している事が分かる。僕は別に韓流ドラマには興味はないのだが、結果的にそういう場所に行ってしまった訳である。しかし建物は必ずしも旧くはなくても、石塀に挟まれた細い路地と急坂は中々に風情がある。それと、もっと下調べをしておけば、旧い建物が並んだ場所も少しはあるのだろうとは思う。





 北村は随分高台になっていて、ちょっと香港のヴィクトリアピークを思い出す。その高台から遠く景福宮を見やる。

 北村からは、道が分からぬままに景福宮を目指して歩いていたら、珍しく花が綺麗な大邸宅にぶつかった。警官がいるので普通の家ではなさそうだが青瓦台ではない。そこで交通整理をしていた警官に尋ねると、首相官邸である事が分かった。勿論写真撮影は禁止である。更に歩くと、青瓦台の下に出た。車は当たり前だが入れて貰えない。歩いてならもう少し上まで上がれそうだが、写真も撮らして貰えない処で青瓦台を遠望したところで面白くもないので、僕はそのまま景福宮を目指した。景福宮と言っても、周囲に色々な宮殿が建てられている、言ってみれば15世紀前後の朝鮮王朝の宮殿が色々建っている場所のようである。韓国の旧い建物はみな「ロ」の字形に建てられている。個々の建物の由緒来歴は分からない。似たような建物ばかりであるが、中に装飾の美しい光化門という門があったので、その装飾の写真を撮った。別に光化門に限らず、どの建物も似たような装飾が施されている。ただ恐らくはかなりの建物は最近再興された建物だと思う。甍に動物をあしらった建物もあった。


 埋葬前の王族の棺が安置されたという、世界遺産に登録されている建物を見て表に向かうと池の中に昌慶宮と言う建物が建っていた。こちらの方が絵になる。

 僕は裏の方から入って段々表に出て来たので、最後が景福宮である。そして、この門を向こう側からこちら側に出てくると、交通の激しい現代にタイムスリップして来ることになる。

 景福宮を後にして、夕食前に是非踏破しておきたかった仁寺洞(インサドン)に向かう。仁寺洞は短い通りの両側に土産物屋が並んでいる。人通りは多く、土曜日の夕方だった事もあるのだろうが通りはごった返していた。何処へ行っても本当に人いきれで蒸し返っている。通りに入ってすぐの処に、韓国独特のお面を売っている店があった。少し行くと、今度は刺繡屋があったので、僕はその店で、軽くて嵩張らず、お土産には手頃な値段の針刺しを幾つか買った。



 この日は昼食の後だけで16km位歩いた計算になる。普段余り履かない革靴で歩いたので、マメが出来てしまった。このマメに翌日から悩まされる事になる。