baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 韓国旅行(5)

 2泊3日の韓国旅行でついに5日もこのブログを引っ張ってしまった。それでも、今日がやっと最終回。最終回に当たり、先ず締めの一言を。
 韓国でも今は若者の就職が大変だと言う。大学卒の就職率は日本よりも悪いと聞いた。それでも韓国を歩いて思った事は、若者に精気が溢れている。人混みを歩いている若者が若さに輝いて見える。日本の若者にはどう贔屓目に見ても、韓国の若者の持つエネルギーが感じられない。少子化の果てに人口が1億を割っても結構、日本が世界第三位の経済大国から更に転げ落ちても僕は構わない。日本の国土と資源に見合った国のサイズに調整した方が、長い目で見れば幸せなのかも知れないと日頃から思っている。しかし長期的に日本がどっちへ向かおうと、日本の若者にはその時その時には眼の輝いた人生を送って欲しいと切望するのである。
 勿論大人も悪い。今の若者に多くのしわ寄せを押しつけている。でも僕たちの時代にも、それはそれなりに別の苦労は沢山あった。例えば僕が否応なしに放り込まれた猛烈サラリーマンの社会では、親の葬式にも出られず、子供は寝顔しか見られない事が良しとされ、来る日も来る日もボロキレの様になるまでこき使われた。今思えば随分と非人間的な毎日であったが、それでも戦争に駆り出される事を思えば文句どころではなく、平和の有難味を噛みしめつつ毎日必死に働いた。時代により苦労は違うが、何時の世にも苦労は付き纏う。今の日本の若者には現代特有の苦労はあろうが、そんな事には負けずにもっともっと熱気を持って毎日を過ごして欲しいと改めて思わされたのである。明らかに我が国固有の領土である竹島を不法占拠するような国に再び行くことはないと思うが、それでも総括すれば、行って良かったと思える収穫が色々とあった今回の韓国旅行であった。
 さて、最終回の旅行記は水原行である。ソウルから電車で約一時間の処にある水原には、世界遺産になっている水原華城があると言うので、折角韓国に来たからには是非足を伸ばしたいと思ったのである。

 これは水原の駅前風景である。日本の何処にでもある、地方都市の風景と変わらない。この駅前から出るバスに乗り華城行宮へ行く。この華城行宮は、日本の占領と朝鮮戦争でほぼ全滅したものを10年程前に再建した由。ただ一部に旧い建物も、と言っても高々200余年程度の事らしいが、残っていて全体として世界遺産に登録されたらしい。世界遺産の基準も結構曖昧な様である。正門を入って少し行くと、中陽門と言う中門があって、そこに衛兵が立っていた。

 この衛兵はバッキンガムの近衛兵と違って休日のアルバイトなのであろうが、身形もいかにも貸衣装なら私語をするなどしていて、まるで威厳に欠けていた。休日だからであろう、折良く衛兵が行進するアトラクションがあった。しかしこの行進も練習不足が一目瞭然で、さっぱり迫力がなかった。

 一連の建物を一巡してから裏山に登る。急な長い階段が続いていて、室生寺の階段がダブッて来た。僕はと言えば前日拵えたマメが痛くて、喘ぎ喘ぎ歩いていた。

 裏山から見る水原である。リヨンの旧市街の裏山から市街を見下ろした感じにそっくりである。そして眼下に華城行宮の全景も見える。


 裏山には恰も万里の長城の様な城壁が延々と続く。但し丈は万里の長城の比では無く、大人の背丈程度の華奢なものである。この城壁を辿って暫く行くと、華西門と言う正真正銘の旧い門に出る。この門は威風堂々としていて、中々カッコ良かった。


 華西門の前からバスに乗り、一旦水原駅まで戻り昼食にした。昼食には、豚の背肉を背骨ごと韓国味噌で煮込んだ「カムジャタン」を白飯とキムチで食べた。お腹が空いていた事を差し引いても、頗る美味であった。

 食後にまた駅前の観光案内所に戻り、民族村へのバスの切符を貰う。民族村まで一部高速を使って片道30分ほど掛かるのだが、無料なのである。民族村には、旧い貴族の家、農家、などが移築されていて、韓国の旧い文化や建築様式を見るには手っ取り早いのだが、当然の事ながら商業化されているし、何よりも余りにも安直で趣に乏しくさっさと退散して来た。帰り際に土産物屋で売っていた陶器の人形が可愛らしく、予定より一本早いバスの時間が迫っていたにも拘わらず、思わず手を延ばしてしまった。お陰でマメだらけの足を引き擦って、バスまで小走りに走る羽目になった。