baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 憂国の士

 夕べの夜行便でジャカルタから戻ってきた。飛行機の中で山口昌子の「原発大国フランスからの警告」と言う本を読んでいたら、そのまえがきにいきなり『外国で暮らしている大部分の日本人は、誰に頼まれたわけでもないが、日本人であることを誇りにし、日本人として恥ずかしくないような言動を取る。しかも、大半の日本人は実は憂国の士でもある。余計なおせっかいかもしれないが必死であり、日本が少しでも良い方向に行くようにと祈っている。』とあった(引用にしては少し長すぎて著作権問題があるかも知れないが、出所を明らかにしているので眼をつぶって頂きたい)。作者は元々産経新聞のパリ支局長を11年務めたジャーナリストとの事である。
 一昨日、僕が日本の現状に悲憤慷慨したばかりな事もあるが、何だか僕の事をずばりと言い当てられた様で我ながら吹き出してしまった。僕は過去3度、計16年の海外駐在をしている。その間に、多少なりとも民間外交にも貢献したと思っている。そんな僕はどうやら山口昌子言う処の、外国で暮らしている日本人の大部分の典型に当て嵌まる、極く平凡な日本人のようである。実際海外で暮らしていれば、良きにつけ悪しきにつけ日本人と言うレッテルは常について回る。その為に誇らしい思いをする事もあれば、恥ずかしい思いをする事もある。そして、そういう生活を日常的に過ごしていれば、嫌でも日本人である事を強く意識する。
 そうすると今度は、何かの拍子に日の丸を見れば訳もなく嬉しくなる事がある。勿論大使館に立っている日の丸に一々反応する訳ではないので、ここで言う日の丸とは、例えば独立前の東チモールと言う猖獗の地の自衛隊基地に翻っていた日の丸であり、ジャカルタの港に停泊していた護衛艦の日の丸である。ジャカルタ騒乱の時に邦人救出に飛来した政府のチャーター機に駐在員の家族を乗せ、見送った時には翼の日の丸が何と頼もしかった事か。因みに、外国で君が代を聴いた事は16年間一度もなかった。オリンピックでもなければ、外国の国家を演奏する事はないのであろう。
 そんな紋切り型の憂国の士には、昨今の日本の惨憺たる外交を見ていると、苛立たしくて思わず歯噛みをしてしまう。ロシアにも中国にも韓国にも、領土問題で嘗め切られている情けない昨今の日本を座視出来なくなっている。国内に大きな政治課題を幾つも抱える野田佳彦は、「決められない政治」と揶揄されながらもブレる事無く頑張っているが、足下の民主党はガタガタでバラバラ、およそ与党の体を成していないので結局は時間ばかり掛かって何も決まらない。小沢一郎鳩山由紀夫に至っては敢えて党を二分してでも、来たる総選挙に備えて今から有権者受けしか狙っていない。と斯様に現政権には内政ですら纏められないのだから、外交などは望むべくもないのだが、日本の政治が何年も足踏みをしている間に日本を取り巻く環境は日に日に悪化している様に思えてならない。この閉塞感から一体どうしたら脱却出来るのであろうか。