baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 孫崎享著「日本の国境問題」−尖閣・竹島・北方領土

 孫崎享の掲題の本が7万部を超えるベストセラーになっていると聞いて読んでみた。孫崎の持つ日本領土に関する考え方は、元外務官僚でその後防衛大の教授を歴任した人にしては少し違和感を感じていたので、テレビではなく本でしっかり確かめたかった。また孫崎とは個人的にも一時期接触があり、お宅にお邪魔したりしてその人となりには少なからず尊敬の念を持っていたから、尚の事違和感が放っておけなかったと言う事もある。この本は初版が昨年の5月であるから、尖閣列島での漁船の衝突事件は既に起きていたが、今般の一連の騒ぎよりは遥か以前に上梓されており、所謂際物本ではない。
 冒頭では問題の三件の領土の帰属を、孫崎の視点から歴史的な解説をするのだが、肝心の1895年以前の部分で日本に不利な事例ばかりが列挙される。だから孫崎がこの問題を如何考え何処へ持って行きたいのかが分からず、読んでいると初めはやはり戸惑いは隠せない。孫崎の言う見方もあるのだろうが、それはむしろ中国や韓国の言っている事であり、日本は外務省を初め全く違う主張を繰り広げて日本の正当性を主張しているではないか、と思わずにはいられない。
 それに続いて、戦後外交史での米国の陰謀や、日本と関係国とのやり取りが紹介される。その部分は専門家の孫崎が引用し、分析する通りであろうと納得する。大国のエゴイズムや冷戦下での陰謀は如何にもありそうな話で飲み込み易い。冷戦下で日本とソ連が近付き過ぎないように米国が北方領土問題の決着を敢えてぶち壊した、と言うのも如何にもアメリカらしい策略で、そう言う事だったのかと思う。更に、日本の外務官僚が戦後の外交交渉の裏話を承継せずに今日に至ったが為に、民主党政権が誤った対応をしてしまっている、と言うのもその通りなのであろう。しかし、個々の経緯は異なれども日本の領有権の正当性についての孫崎の解説は、やはり日本人の安直なナショナリズムに水を掛ける事を目的に、敢えて不利な材料ばかりを羅列しているように思える。
 結局僕の読んだ限りでは、孫崎は領土問題では国民は熱く成り易いし、政治家はナショナリズムを焚き付ければ労せずして人気が得られるが、冷静に考えた時に小さな島や岩礁にそれ程の価値があるだろうか、最悪の場合には武力衝突に発展するリスクを張ってまで主張する程のものであろうか、隣国との間にはそんなちっぽけな物には代え難い重要な事が他にもっとあるだろう、と言いたいようである。その例として、戦後のドイツを例に挙げている。ドイツは敗戦で旧プロイセンの領土は殆どソ連ポーランドに取られてしまったが、主権への主張は留保しつつも領土問題には固執せずにソ連との関係を早々と復旧し、今やドイツはソ連の第二の貿易相手国になっている。それに反して領土問題が桎梏となって未だに平和条約が締結できない日本の貿易額は11位に過ぎないと言う。しかしソ連はもともと欧州崇拝国であり、ドイツやスイス製の製品を好んでいたから、仮に日本が戦後ドイツと同じ事をしたとしても日本が第二、第三の貿易相手国に成り得たとは僕は思わない。或いは、終戦時のドイツとフランスの関係は、現在に至る日本と中国や韓国との関係どころではない激しい憎悪の応酬であったが、戦後の独仏はその歴史的憎悪を乗り越えて今は互いに手を携えているのだから、日本もそれを見習って中韓と仲良くしろ、と言う。実際に欧州危機に際してのメルケルサルコジとの蜜月ぶりを見れば、それは正にその通りであると思う。日本と中国とは体制が異なるので一足飛びにそうなる事は考え難いが、日本と韓国が東アジアでそう言う関係になれるのなら、勿論それに反対する日本人はおるまい。しかしその為には、韓国が何時までも被害者意識を引き摺っている様では難しい。
 孫崎の主張は成る程一つの見識であり、傾聴に値する。ただ、欧州諸国は戦争の度に国境線が大きく変わる歴史を生きてきている。その流れの中では、第二次大戦が終わった時にはドイツは消滅していた事になる。そういう歴史と文化を持つ欧州と、海に囲まれて国境が頻繁に移動する経験のない日本とを同一に論ずるのには聊か無理があると思う。孫崎は、ポツダム宣言の無条件受諾が日本の領土の線引きの始まりであると説く。それ以前に何処までが日本の領土であったかと言う議論は無意味であると言う。しかし現実には、戦勝国は日本が植民して拡張した領土とそれ以前の領土を区別して、植民以前の領土を戦後日本の領土と決めているのだから、そこに他国から横槍が入いれば日本が自国の権利を主張するのは当然である。日韓関係が独仏関係の様になるのは勿論望ましいが、その為に日本が今になって一方的に自国領土を差し出すのであれば互恵関係たり得ない。と書くと、孫崎は「結局君は何にも分かっていないではないか。竹島の領有に一体どれだけのメリットがあり、日韓関係が独仏関係になれたらどれだけのメリットになるのか」と言うのであろう。
 などと深刻になっていたら、アマゾンのベストセラーNo.1はずっと西原理恵子の「生きる悪知恵」なんだそうである。当人曰くは「全く内容のない、活字の(漫画ではない)人生相談本」なのだそうである。別にそれはそれで良いけれど、やっぱり日本は平和だと思う。