baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 こりゃキリがない

 今日は朝から落ち込んでいる。6月にスクーターを買った気丈な親友が、今朝逝ってしまったと言うメールが来た。調度2週間前に入院したと知り、家族に電話で様子を聞いて、もう退院する事はなかろうと覚悟はしていた。今まで頑張った事自体が奇跡みたいな話なのである。
 それでも今回の出張中は未だ大丈夫だろうと儚い予想をしながら、一方では友人達に出張予定をメールしていた。そんなメールは初めてである。今度ばかりは入院した時から、本人も家族も見舞いは望まなかった。せめて花を入れようとしたが、病院は電話では病室は教えてくれないし、病院の花屋は現金を貰わないと注文は受けない、振り込みはお断りしています、と言う。脱税でもしているのかと腹が立ったが、結局花も贈らぬままに日が過ぎてしまったのが少し心残りである。今思えば、日比谷花壇からでも贈っておけば良かった。
 最後に会ったのは8月20日、もう無理かとも思ったが友人が数人集まるので声を掛けたら、出てくると言う。それで彼の家の直ぐ近くに集まった。集まる方も、半ばお別れのつもりで集まった。もう腹水でお腹がパンパンで殆ど食事も喉を通らず酒もグラス一杯ぐらいしか飲んでいなかったが、横にもならずにニコニコと最後まで座っていた。そして、ズボンが落ちないように最近愛用していたオーバーオール姿で、歩いて帰っていった。病人扱いするのを嫌がるのを知っているから、誰も送らずにその場で見送った。その後ろ姿が最後になってしまった。
 思えば真っ赤なスクーターには、何度もは乗れなかったと思う。それでも友人宅にスクーターで颯爽と乗り付けた、と言う話を聞いた。「乗れる時に乗っとけ、乗っとけ」と焚き付けた甲斐があったと言う物である。入院後もメールは読んでいるとの家族の話だったので、携帯にメールは入れたが、マメな男なのに今度ばかりは僕には返事はなかった。元より期待はしていない。ところが女(の子)には返事があったらしい。最後まで格好良くありたかったのかな。
 親が逝くのは順番だから仕方がない。寂しいけれども誰でも通る道だから、自然と覚悟は出来ているし諦めもある。でも親友となると、思いは複雑で辛いものがある。人生65年、今まで随分色々な経験を積んできた積もりなのだが、また新たな経験がやって来る。こりゃキリがない。