baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 靖国参拝

 17日に安倍晋三が、今日の午前中には森喜朗元総理を筆頭に約70人の国会議員が、そして現役閣僚では羽田雄一郎国交相下地幹郎郵政民営化担当相が、靖国神社を参拝した。また中国や韓国が、ここぞとばかりに騒ぎ立てる事であろう。彼等は日本の大東亜戦争を言い咎めれば、日本は頭を下げると思ってひたすら歴史問題として日本を攻撃する。彼等にとってはその絶好の機会が、日本の政治家の靖国神社参拝なのである。そしてその背景には、日本の戦後教育が太平洋戦争や大政翼賛会を否定し、日本の近代史全てを否定して近隣諸国に懺悔をするように子供を教育した結果、日本人が日本国民としての誇りを持てず、日本と言う国に胸が張れなくなっているという現状がある。其処には米国の思惑、ソ連コミンテルンの浸透、等の政治的な陰謀があった。そして、そのお先棒を担いで戦後日本の教育を壊滅させたのが、例えば輿石東が地盤とする、日教組である。
 僕は個人的には靖国神社は好かない。特に遊就館は異常であると思う。明治以降の日本の礎となった英霊に纏わる展示物の展示館と言う触れ込みだが、中に入れば圧倒的なインパクトがあるのは第二次大戦関連の展示に集中している。そしてその展示物は、特攻隊を初めとするかなり個人的な写真や遺品に終始し、とても300万人の戦没者を等しく扱うものとは言い難い。そこには、戦争礼賛ではないのだが、何か特殊な、極右のベクトルを厭でも感じてしまう。だから僕は遊就館には二度と行かない。とにかく、趣味が合わない。その結果、靖国神社にはそれ程特別な感情はないのだが、何とはなく靖国神社の境内にも足が遠のく。だからと言って、今の民主日本の礎となった先人達への憐憫と敬意は僕も人並みに弁えている積りである。別に靖国神社だけが、全てを背負って立っている訳でもあるまい。
 僕にとってはその程度の靖国神社でも、政治家が参拝する都度外国にとやかく言われるのは不愉快である。戦犯が合祀されているのが問題だと言う意見もある。確かに何もわざわざ合祀する事もなかったろうに、其処には当時の靖国神社の政治的な思惑が見え隠れする。しかし東京裁判自体が今では戦勝国の報復裁判であった事は定説になりつつあるのだから、戦犯が犯罪人であったと単純に決めつけるのは憚られる上に、例え犯罪人であっても刑が執行されれば贖罪された事になる筈だから、戦犯が合祀されている事を問題視する事には道理がない。既に処刑されて、贖罪は終わっているのである。そして、一国の宰相が国の為に闘って斃れた戦死者の墓地を参拝する事は何処の国でも珍しい事ではない。日本の総理が訪米すれば、アーリントンを参拝するのも普通になっている位ではないか。外国の戦死者の墓地は参拝しても良いが、日本の戦死者を祀ってある場所に参拝するのが怪しからんという理屈はない。しかも戦死者を弔ったからと言って、近隣国侵略とは何の脈絡もないし、侵略戦争の正当化に繋がる訳でもない。所詮、外国にとやかく言われる筋ではないのである。
 僕は靖国神社が余り好きではないから、個人的には近隣国がそこまで嫌がるのなら、一般の国会議員はともかく総理大臣や閣僚が何もわざわざ靖国神社参拝をする事もあるまいとは思う。しかし同時に、日本に歴史問題を持ち出せば日本が困ってしまい、要人の靖国神社参拝を非難すれば日本国内に同調する声が上がると思っている中韓にはもう辟易する。内政干渉も甚だしいと言う物である。大東亜戦争自体は周辺国に迷惑を掛けた暴挙であったし、それについては謝罪を重ねるのは已むを得ないが、それが日本が今の様な民主国家に脱皮するためのステップであったのも歴史的な事実である。日本はその為に、東京で一晩に10万人の犠牲者を生んだ大空襲を受け、広島と長崎で30万人と言う犠牲者を出しているのである。しかもこれらの犠牲者は多数の子供を含む、非戦闘員の一般国民であった。これ程の大虐殺を敢行した米国を今更責める積りはないが、その対極にある艱難辛苦の挙句に敗戦にまみれた日本が何時までも中韓に歴史問題で責められる謂れはない。反省すべきは反省し、謝罪すべきは謝罪して、戦争は絶対に繰り返してはならないと言う思いは大事だが、だからと言って日本の近代史を全て否定する必要はない。もう中韓の、馬鹿の一つ覚えの靖国神社参拝非難はいい加減聞き飽きた。大東亜戦争も、太平洋戦争も、今の民主国家日本へのステップアップの為の歴史の一齣だったのだから、日本人はもっと胸を張って良いのである。