baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 ベネズエラ文化週間〜シモン・ボリバル弦楽四重奏団演奏会

 先日の菅野潤の演奏会場でお会いした駐日ベネズエラ大使に、今宵の演奏会への招待を受けていた。ベネズエラからやって来た、シモン・ボリバル弦楽四重奏団の演奏会が今夜紀尾井ホールで催されるのである。ベネズエラのクラシック・プレーヤーは今まで聞いた事がない。一体どんなプレーヤーなのか、内心は相当引けていたのだが、大使直々の招待となれば後天性本能で厭も応ない。と言う訳で大雨の中を傘を差して出掛けた。
 プログラムは、ヒナテラスと言うベネズエラの作曲家の「弦楽四重奏曲第1番」、ショスタコーヴィチの「弦楽四重奏曲第8番」、やはりベネズエラの作曲家カステジャーノスの「弦楽四重奏曲」、最後はドヴォルザークの「弦楽四重奏曲第12番≪アメリカ≫」、と結構重い曲が並んでいた。しかし、面白い事に彼等の手になるとどの曲もラテンになってしまう。どうしてそうなってしまうのかははっきりとは分からないのだが、でもみんなラテンになっている。テクニックはしっかりしているし、音も音程も悪くない、いや上手なのである。
 どうしてなのか、聴きながら色々分析した。先ずテンポが彼らの体内を流れるラテンのリズムなのだと思う。早いテンポの曲はどれもが殆ど同じテンポであった。あんなにアップテンポの≪アメリカ≫は曾て聴いた事がない。次は弾き方である。チェロ以外は皆立って演奏する。ヴァイオリンもヴィオラも顎の下と言うよりは横に構えて、ボディアクションも軽音楽の様、弾きながら目が会うと笑顔を交わしたりするのも、まるで軽音楽かアルゼンチンタンゴ・オーケストラのノリである。音色も、良い音を出しているのだけれども何処か音色が普通のクラシックとは微妙に異なる。所謂クラシックの固く鋭い澄んだ音質ではなく、そこはかとなく砕けた、丸こい、柔らかい音質なのである。ヴィブラートも大きく早い。これらが一緒になると、幾ら曲がクラシックでも何処かラテンの匂いが迸るらしい。
 何だか踊り出したくなるような、ロックコンサートの如きクラシック演奏会であった。アップテンポな曲だと、知らぬ間に足がリズムを踏んでいるといった感覚である。きっと彼らの中では、欧州の中世の音楽でもロマン派の音楽でも近代の音楽でも、みんな体の中ではあんな風に響いているのであろう。文化と習慣の違いがこれ程如実に出たコンサートは初めてである。彼らにブラームスを弾かせたら一体どんなブラームスになるのだろう、と考えて一人笑ってしまった。
 カーテンコールまで傑作だった。お辞儀はバラバラ、ファーストバイオリンは一度だけ頭を下げるとさっさと引っ込んでしまう。残りの三人が慌てて追っかける。カーテンコールで出てくる時には、低音が二人現れると、大分遅れてヴァイオリンが二人雑談をしながら出てくる。極めつけは、大サーヴィスの三曲目のアンコールをしようとしたら、ヴィオラが幾ら楽譜を探しても見つからない。仕方がないので別の曲を弾いてお茶を濁した。拍手は未だ鳴り止まない。暫く経って次に出て来た時には、ヴィオラが楽譜を一枚手にしている。会場一同大笑いである。案の定、更に一曲おまけが付いた。おまけはウサギ追いしの「ふるさと」であった。これはやらない訳には行かない曲だったのだ。大使夫人が、東北地方の大震災からの復興を願って想いを込めている曲である。このアンコールだけは流石にラテンの匂いは微塵もせず、日本人の琴線を揺らす名演奏であった。
 演奏者は勿論笑わせようなどとは思ってもいないのだが、会場が自然に笑いに包まれてしまう、何とも言えずホンワカとしたクラシック演奏会なのであった。