baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 もう直ぐ犠牲祭

 イスラム教では26日が犠牲祭である。旧約聖書の創世記に出てくる、アブラハムが神の命に従い息子を生贄に捧げようとし、息子イサクも従容として生贄になるのを受け入れる、二人で定められた場所に祭壇を作りアブラハムが刃物で息子を屠ろうとした正にその刹那、天使の声でアブラハムは止められる、そして息子の代わりに雄羊を捧げると言う故事にならった祭日である。裕福な人は牛やラクダを、そうでない人は山羊や羊を、それも出来ない人は何もせずに、それぞれが分相応にお祝いする。屠殺された動物の肉は貧富の分け隔てなく、隣近所に分配される。イスラム圏では今週は綺麗に飾り立てられた牛や山羊や羊が広場に繋がれ、市が立っている。インドネシアではこの週末は三連休である。イスラム教徒がメッカに巡礼するのも、正式な巡礼は今の時期である。今年の日本からの巡礼は、先週中頃に出発している筈である。行ける人は何度メッカに行っても良いのだけれど、この時期に行かないと正式な巡礼とはカウントされない。つまり最後の審判では減点対象となる訳である。
 この犠牲祭に、シリアでは停戦が成立するらしい。国連特使がアサド大統領と面談し、反政府勢力とも連絡を取って双方から同意を得たと言う。とは言え、アサド政権は以前にも停戦に合意しながら武力行使を止めなかった前歴があるから未だ楽観は許されないが、今度は単なる停戦ではなく犠牲祭の停戦だから実現するかも知れない。ベトナム戦争のテト停戦の様なものである。兵士も偶には息抜きをして、揃って祝いたいであろうから、今度は首尾良く現実に停戦となり、願わくばそのままもう戦闘する事なしにアサド一族がロシアに亡命してくれれば良いのだが。もっともアサド一族は真のイスラム教徒ではないから、彼らに犠牲祭がどの程度の意味を持つのかは僕には分からない。
 ここまで書いて、現代のユダヤ教徒キリスト教徒は犠牲祭はどうしているのだろうと疑問を抱き、確か昨年も同じ疑問を抱いたような記憶が蘇って検索してみたら、やはり同じ事を書いていた。しかも昨年の方が遥かに事細かである。ひょっとすると僕は進歩が止まったどころか、退歩し始めているのかも知れない。クワバラ、クワバラ。