baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 忘年会 〜 有難たや、有難たや

 連日の忘年会である。ジャカルタから戻ってこのかた、風邪だろうが何だろうが連日の忘年会なのである。お声が掛かるうちが華と、這ってでも参加している。今日もその忘年会から戻った処である。
 今日の忘年会は、現役時代にお付き合い願っていた取引先の人達との集まりである。先方ももう一線は引いているが、未だ関連会社の経営幹部として現役の人達である。本社は東京ではないのだが、関連会社が東京にあるので平日は東京勤務の人達の集まりにお声が掛かった。こんな光栄な話はないではないか。現役時代に世話になった会社の後輩からもお声が掛かる。メンバーの平均年齢が二回りも若いのに、代表に祭り上げられたツーリングクラブからもお声が掛かる。そして今夜の様に取引先の、昔お世話になった人達からもお声が掛かる。
 僕は現役時代には、自分で思う程力が発揮出来ずに随分とフラストレーションを抱えていた。運が無い時期もあった。上役に裏切られた事もあった。そんなこんなで、生涯年収では随分と差をつけられた同期もいる。僕の現役時代の会社は典型的な競争社会であったから、時には悔しい想いもした。競争社会では何時も上を見てしまい、満足と言う言葉を何処かへ置き忘れてしまうのである。事実、下を見て満足する様では競争にならない。だから自分でも知らぬ間に、典型的な競争社会で日々切磋琢磨するのが当たり前の毎日であった。
 ところが、そういう狭い社会での競争に負けた相手よりも、今の自分が幸せだと思う事が最近は増えて来た。ちょっと聞けば単なる負け惜しみに聞こえるかもしれないが、これは決して負け惜しみではない。狭い競争社会で出世する為には、能力や仕事の結果だけでは納まらない面がある。運もある。だから幾ら努力しても報われない事もあるのに、競争社会に身を置いているとそんな簡単な事も見えなくなり、仕様もない事に一喜一憂し、喜んだり悔しがったりする。常に他人よりも上に立とうとする本能が働いてしまう。特に僕が育った時代は会社では猛烈サラリーマンの全盛時代であるから、一日に16時間でも18時間も普通に働く毎日であった。そんな生活が当たり前であれば、見える事も見えなくなるのである。その逆は、出世競争では大勝ちしたのに、現役を引いた後には全くお声が全く掛からない者もいる。随分と寂しい毎日ではないかと、余計なお世話を焼きたくなったりもする。
 こと程左様にやっとこの頃、何が大事なのか、何が貴重なのか、が見える様になって来た。若い時には、そういう事が見えない程仕事に集中する時期も大事なのかも知れないが、人生のホームストレッチに入いってはっきり自覚する事は、人生で最も貴重なものはお金では買えない、と言う真理である。そんな思いを噛みしめながら、連日歯を食いしばって出掛けている、と言うのは大嘘で、連日ニコニコのお出かけなのである。