baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 日本人と生存競争

 来月引っ越すので、やっと重い腰を上げて家財道具の整理を始めた。今の借家には日本に戻ってからずっとだから、既に11年住み付いている。ガラクタや本が増える訳である。僕は本が捨てられない性質で、実際後になって急に思いついて読み返したりするから、増える事はあっても滅多に減る事はない。その上近頃は、ネットで本が買えるようになってしまい、欲しい本があると何時読めるかも分からないのについつい注文を先行させてしまい、積読が増えるばかりで本の量が夥しい。それでも今日は、まず読み返す心配のないコミック本を売りに行った。全部で57冊、それも一度読んだだけで戸棚の奥にしまいこんであったから程度は良い本ばかりであった。随分と重く、運ぶのに苦労した。
 しかし最近流行の古本チェーン店では、以前はコミック本は1冊100円で引き取ってくれたのに、今日は47冊が10円、50円が2冊だけ、残りは20円であった。僕の目にはどれもそれほど程度に違いがあるとは思えなかったので、釈然としない。別にお金を当てにしていた訳ではないので、僅かの事で重い荷物を又持って帰る気にもなれず今日の処はそのまま置いて来たけれど、これからもこんな値段なら、重い本をわざわざ車で運ぶ手間を考えたらただで資源ゴミとして廃棄した方が余程楽である。創業者の女社長が全てをマニュアル化して成功したと言う話で、あっと言う間に全国チェーンに伸し上がったのだが、今ではもうアルバイトの様な店員がイイコロ加減に値を付けているとしか思えなかった。VBとして一時は一世を風靡した古本チェーン店も、今やクズ屋かトイレットペーパーの交換屋に成り下がってしまった趣である。これが一般の活字離れの結果なのか、或いはこの古本屋が堕落してしまったのかは僕の知った事ではないが、文句は言えどもこちらにも他にこれと言った便法もないのが情けない。
 今日は年に一度の健康診断の日である。現役時代は会社から強制的に行かされていた半日ドックなのだが、もう止めても良いようなものの、何もしないのも不安で未だに年に一度はドックに入っている。昨夜から飲食を制限して、朝の7時に家を出た。昔と違って、この頃は前日の早目の夕食以降禁止される飲食が然程苦にならない。年齢と共に空腹は感じなくなり、渇きも大したことはない。ただ胃検査で飲む内視鏡がどうも苦手である。内視鏡の事を思い出すと気が重くなり、年に一度と言うけれど実は13-14ヶ月に一度になっている。僕は麻酔をきつくすると誤嚥が酷く、肺炎になるのではないかと自分で心配になる。それで麻酔を減らしてもらっているのだが、麻酔を減らせば当たり前だけれども嘔吐感甚だしく、生きた心地がしない。洗浄も空気挿入も気にならない、いや気付かない程嘔吐感が悩ましい。今日はよほど細い径のカメラにしてもらおうかと思ったが、精度は低くなり時間も長くかかるから頑張れと励まされた。バリウムにしようかと相談したが、僕の様な酒飲みは食道なども精密に診られる内視鏡にすべきであると説得され、結局今年もまた通常径のカメラを飲まされた。結果は去年よりは多少は楽であったが、やはり終わった時には半死半生であった。
 話は前後するが、朝の7時では未だ最寄駅ではラッシュには少し早いのだが、ターミナル駅で乗り換えた地下鉄はもう結構な混雑であった。現役を引退してからは滅多にラッシュ時に電車に乗る事はないので、本当に久しぶりのラッシュである。地下鉄が他の地下鉄との乗換駅に到着した。物凄い人数が下りて行き一瞬社内がガラ空きになったが、今度は猛烈な人数が押し合いへし合い止めどもなく乗り込んできた。駅員が「ドアを閉めます、次の電車をお待ちください」と絶叫し、ホームのアナウンスも同じ事を叫んでいる。そうしたらホームの人波がピタッと止まり、電車は無事に発車した。以前なら何を言われようと後から後から、足を入れる隙間が無くなるまで人が乗り込んで来たと思うのだが、今朝は次の電車を待つ人の列があっと言う間に長蛇になってしまった。駅員は「お急ぎの処を次の列車をお待ち戴いた乗客の皆様に感謝致します」と叫んでいたが、昔には見られなかった光景だと思う。そして、こんな事が起こるのは日本だけであろうと思った。先ず、日本の乗客は次の電車が来ない事態など想像しないから、僅か3分程度の事だと高を括って次の電車を待ってくれるのであろう。勿論、無理して乗ろうとすれば電車が遅れ、更にダイヤが混乱する事への配慮もある。日本人の公共心である。
 しかしこれが海外なら、少なくともアジアなら、乗れるチャンスがある限りは絶対に次の電車を待ったりはするまい。何故なら次の電車が予定通り来る保証は何処にもないからである。職場に遅刻する程次の電車が大幅に遅延しているなど日常茶飯事である。しかも、そういうアナウンスは無いのが普通である。日本なら「後続の電車が遅れているので、お急ぎの方はこの電車にお乗り下さい」などとアナウンスされるであろうが、そんな親切なアナウンスは端から期待出来ない。それどころか、何時まで経っても電車が来ないから如何なっているかと駅員に問い質しても「もうすぐ来る」などと出鱈目を言われるか、「そんな事は分かる筈がない」と逆に怒られるのが関の山である。それが普通だから、誰でも目の前の電車に乗るしかないと必死に乗り込んで来る。更には公共心よりも先ずは自分が生き残る事が第一義という日常であるから、そこでは凄まじい生存競争が繰り広げられる。日本人と言うのは、内輪では規律正しく礼儀正しい人種だが、一度生存競争に放り込まれたらどうなるのであろうか、真っ先に滅亡する民族なのかも知れない。