baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 国民総背番号制

 先週末の参院国民総背番号制が成立した。知らない間にマイナンバー法などと言う名前になっていたが、以前から話題になっていた総背番号制の事である。これで2016年1月から国民が国に管理され易くなると言う事である。国に不信感があると、この制度は本当に不気味である。例えばソ連に管理されていた20世紀後半の東欧の様に、共産党一党独裁下では自由主義や人権を重んじる思想の人間は仕事にも付けぬ様に差別されていた訳だが、その差別もこの背番号制であればいとも簡単になる。何かにつけて背番号の提示を求める様にすれば、そこにその人間の記録を全て書き込む事で幾らでも嫌がらせや差別が可能になる。それだけに、昭和初期から終戦までの特高の暗い記憶がある日本だから、国に国民一人一人が簡単に管理されてしまう事には未だに抵抗がある。
 しかし、僕の現役時代の会社では、既にこの社員背番号制を半世紀も前から導入していた。その番号は退職した今でも僕に付き纏っている。そのお蔭で終生酷く楽をした。現役時代と退職後とに拘らず、何か用があった時に、この番号と名前を言うと一発で相手は僕を認識してくれる。特に退職後も既に10年以上も経ち、もう誰も僕の事を知らなくなった今では、この社員番号と称する背番号が大した威力を発揮してくれる。それから先の話がいともスムーズに運ぶのである。そして幸いな事に、現役時代の会社と僕個人との間には相互不信感は皆無であるから、この総背番号制が甚く効果を発揮する。
 国民総背番号制と呼ばれていた自民党政権時代には、この制度には野党が酷く反発して、それなりのホットな議論があったように記憶するが、今般は何だか大して話題にもならぬ中に法案が成立した。それだけ野党が力を落とし、参院選を前にもう国民総背番号制にまで手が回らなくなったのであろうが、それにしても大層な法案が殆ど表立った議論なくして成立した事には聊か不安が過ぎる。
 こういう制度は何れにしても両刃の剣である。政府がまともであれば恐れる事はないが、政府が暴走する時には国民の個性が簡単に束縛されかねない。しかし考えようによっては、暴虐な政権が成立してしまえば、マイナンバー制があろうと無かろうと国民は管理されてしまう。如何足掻いても、一般国民は国家権力に絡め取られてしまう。そこにマイナンバー制があろうと無かろうと、大勢に影響はない。何れにせよ政府を選ぶのは国民であり、昨年までの稀代な痴愚政権が選挙で成立した様に、国民が甘言に乗せられて衆愚政治に陥れば、民主党に限らずまた何時でも恐怖政治の時代が成立し得る。どうせそうであるならば、国民は開き直って国民総背番号制を便利な方向に持って行く努力をすべきだと僕は思う。
 取り敢えずのマイナンバー制度は、社会保障と税の一体化だと言う。僕は払うべき税金は払うのが国民の義務だと信じているから、税を幾ら管理されても何も怖くない。それを嫌がるのは脱税指向のある人だろうから、税の管理はどんどん厳しく、但しフェアーに、やったら良いと思っている。一方で、社会保障費は未だに混乱を極めているようだから、なるべく簡素化して実体把握を簡便に、ミスなく管理出来る様にすべきである。それにはこのマイナンバー制は打って付けであろう。そしてどうせやるなら、僕はむしろ税と社会保障に限定するなどと言う中途半端な運用ではなく、放っておいても政府がその気になれば我々の日常が全て把握されてしまうと言う前提で、住宅金融借り入れ、寄付、医療費などの確定申告に関係のある項目も全てこのマイナンバーで都度記録して、確定申告と言う国税庁にとっても国民にとっても大仰な仕事は無くしてしまうべきだと思う。国民総てを管理出来る制度を導入するなら、いっそ中途半端な事は止めて、国民一人一人がお蔭で納税が公平で楽になったと実感する位深度を下げて欲しいと思うのである。