baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 この頃の日本語

 今日は近所のホームセンターへ踏み台を買いに行った。我が家には古色蒼然たる、親の家から持ってきた戦前の踏み台がある。木製で臙脂のペンキが塗ってある、勿論折り畳みなど出来ないが、レトロで可愛い代物である。僕が物心付いた頃には既に実家にあったから、恐らくは両親が新婚の頃に大工に作らせた、80年近く前の物であろう。親の家を処分した時に、古道具屋が最後まで譲って欲しいとご執心であった。今でも現役で毎日役に立っているのだが、昨今の家で使うには持ち運びに不便なので、アルミ製の折り畳みの踏み台を買いに行ったものである。
 ホームセンターでは置き場が変わっていて、何処にあるか分からないので近くにいた若い女性の店員に「踏み台」は何処にあるかと尋ねた。ところがその女店員は「踏み台」が理解できない。踏み台の説明をしたら、「あぁ、梯子ですか、梯子なら.....標識が下がっています」と売り場を教えてくれた。教えられた通りに行ってみても梯子の標識はなかったのだが、脚立と言う標識があった。脚立も拡げて立て掛ければ梯子になる物もあるから、脚立を梯子と言うのは全くの間違えではないのかも知れないが、僕のイメージでは脚立は背が高い物、踏み台は精々が60cmぐらいの物、そしてどちらも自立するので、梯子と脚立や踏み台は全くの別物である。などと理屈を捏ねても仕方がないので、とにかくそこを探したところ、脚立自体が売り場が更に動いていて別のフロアに移っていた。結局探し求めた物は園芸品の売り場に移動していたのだが、無事に購入して自転車のカゴに積んで帰って、家で開けてみたら説明書には踏み台と書いてあった。未だ踏み台と言う言葉は活きていたのである。しかし若い人にはもう通じないらしい。
 話は変わるが、政治家の間に、馬鹿丁寧な、誤った過剰敬語が一時流行ってしまい酷く耳障りであった。発端は鳩山由紀夫である。鳩山由紀夫が間違って総理大臣になってしまい、頻繁に国会やテレビで話す機会が増えた。彼はいとも馬鹿丁寧な敬語を濫発した。ところが鳩山は良家の出だからそれなりに躾けられている様で、馬鹿丁寧ではあったけれども言葉としては誤った使い方はしていなかった。勿論、過剰な敬語自体が日本語として正しくない事は論を俟たない。しかし鳩山が余りにも国民を持ち上げる、馬鹿丁寧な話し方をするものだから、他の政治家もそうしないといけない様な風潮になってしまった。ところが他の政治家は敬語を使い慣れている訳ではないから、頻繁に敬語の使い方を間違える。聞いているこちらは、却って小馬鹿にされている気にさえなったものである。勿論、当の本人は小馬鹿にするどころか大真面目で、単に身に付いていないが故に付け焼刃が剥がれてしまっただけの事であったのだが、何とも気持ちの悪い風潮であった。これも紛う(まごう)方なき日本語の乱れであった。
 その政治家の馬鹿丁寧な、日本語として誤った過剰敬語も安倍政権になって徐々に減り、やっと最近は殆ど耳にしなくなったと喜んでいたら、次元は異なる話だけれども「踏み台」が通じなくなった世の中にショックを受けた今日の遣り取りである。僕は敬語は日本人の根幹に拘る文化であり、これからも大事にしなければならないと日頃考えている。何よりも、何気なく使われる、程良い敬語はこよなく美しいと思う。しかし残念ながら、大分以前から指摘されている様に、今は間違った敬語が到る所で罷り通っている。大手企業の広告にも、平気で可笑しな敬語が踊っている。増してやスーパーの店内掲示や、車内放送などでは滅茶苦茶な言葉遣いが屡出て来る。敬語や古いボキャブラリーは徐々に廃れ、逆に僕には意味不明の省略言葉がこれから増々幅を利かせる様になるのであろうか。ひょっとすると既に、僕の様に言葉の進化に取り残されている人間はガラパゴス人間、略してガラマンなどと呼ばれているのかも知れない。