baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 腑に落ちない事

 昨日は呼び出しを受けていた年金機構の事務所に出向いた。この呼び出しの為に日曜日に帰国したと言っても、全くの嘘ではない。この事務所は場所が不便な処にあり駐車場がないから、我が家からだと物凄く遠回りした挙句に最寄りのJR駅から更に15分位歩くか、我が家から10分ほど歩いて1時間に4本程走っているバスに乗り、最寄りの停留所からまた10分位歩くかの選択しかない。ただ全体の所要時間では後者が圧倒的に短いので、僕は後者を取って暑い最中をヨタヨタと出掛けたものである。
 一応予約の時間はあったのだが行ってみれば余り関係なさそうである。受付は係の人が出たり入ったりして、僕らの順番待ちの列は一向に進まない。それでも5分位で手続きが終わり、僕を含めて4-5人が待合室で待っていた。それから20分程の間に2人ほど呼ばれ2人ほどまた入って来た。皆、暑い最中の設定温度を上げたエアコンの余り効かない部屋でフーフー言いながら待っていると、やおらやって来た男が受付で時間が余りないと言う。すると中から女性が出て来て特別待遇で先に書類を見始め、遂には僕らを追い越して部屋に導き入れようとした。僕はそれまでも我慢して成り行きを見守っていたのだが、流石に黙っていられなくて可笑しいではないかと文句を言い、待合室に居合わせた他の人達も賛同の声を上げたが、係りの女性はスミマセンとか言いながらも結局その人を先に済ませてしまった。年金機構は一時期国民からも政治家からも火祭りに上げられて、今はやること為す事にすっかり自信を無くしているのであろうが、我儘を言う人の言い成りでは他の人が納得しない。郵便局でも時にサーヴィス過剰で待っている人間の事を忘れているのではないかと思う時があるけれど、役人根性丸出しのオイコラは問題外だとしても、もう少し事務的な対応をした方が良いと思った昨日の年金機構であった。
 東電の柏崎原発の再稼働を巡り、地元の同意が取れていないと言う理由で東電は原子力規制委への再稼働申請を見送った。僕はこの話は全く理不尽であると思っている。何が理不尽かと言えば、東電の事前の説明云々以前に、何故今更地元の同意を得る必要があるのか、と言う点である。確かに福島の事故以降は、地元の理解を得るのは一層重要だとは思うが、その地元に拒否権を与えているとすればこんな可笑しな話は無い。ジャンケンに後出しを認めたようなものである。
 つまり僕が言いたいのは、原発の立地については、地元は事前に十分な説明を受けて受け入れた筈である。そして当時どんなに安全神話があったとしても、所詮人間の作る物に絶対安全はあり得ないし、自然災害は人間が想定する範囲を幾らでも越え得る事は、大人なら誰でも知っている。それを納得づくで受け入れて、それなりに金銭的には周囲が羨む厚遇を得て、地元はずっと左団扇であった筈である。その裏には今回の様なリスクがあるからであって、リスクの無い事に左団扇などあり得ない。
 その結果地元には、今では原発に直接、間接に依存して生計を立てている人が大勢いる。他方で、実際にはインフラ整備や公共施設などで厭でも間接的には恩恵を受けている筈だが、それでも直接的には原発が無くても生活に困らない人達には、こんな剣呑な物は身近に無いに越した事はない。この両者の溝は絶対に埋まらない。そういう状況下で地元の了解を取り付けると言っても、本当の地元である市町村レベルはともかく、直接的な原発の恩恵が薄い県レベルになれば首長の胸先三寸の話になってしまう。それを徒に否応言わせるから、滋賀県の様に自分の処には原発もないのに隣の県の原発にまで口を出す出しゃばり婆さんや、新潟県のように揚げ足取りばかりでさも気骨がある様な人気取りを狙う県知事が、政治的な目的を持って名前を売ることになる。これは国政レベルで原発の賛否を議論するのとは次元が違う。
 原発の再稼働に向けては今回の福島の教訓を得て、新生原子力規制委が安全に関する世界一厳しい審査基準を新たに設けた。しかし再稼働が申請された原発の追加補強工事がその基準に沿った物かどうかなどと言う専門的な事を素人が評価できる筈もないから、安全かどうかは原子力規制委の審査に委ねるしかない。それでも100%の安全などあり得ない訳だが、3・11並みの地震津波が来ても大事故にならない様に一応の手は打ったと言う前提である。それで原子力規制委が安全基準を満たしたと認めれば、地元に否応は無い筈だと僕は思う。
 勿論福島の事故の後であるから、今まで通りでは困る、名目は何であれもう少し補償金を積み上げて欲しい、と言った交渉はあり得よう。また専門的な評価はさておいて、追加対策の事も含めて電力会社側は常に地元への説明には努め、少しでも地元が安心できるように努力するべきである。そういう意味での地元の理解を得る事は重要であるし、その努力にはむしろ終わりはない。その結果として大震災の時の女川の様に、大津波が来た時に地元の人が原発施設に避難して来るような関係が出来ればベストである。何れにせよ一旦は受け入れが決まり、既に何千億円もの投資が為されてしまった事に今更地元に否応の権利があるのは如何考えてもフェアーではない。原発の是非は国政レベルの議論でなければならないし、地元に否応の権利があるのはこれから新設される場合に限定されるべきである。