baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 断食

 イスラム教では、今日からまた断食が始まった。イスラム歴は陰暦だから昨年より10日ほど早い。日本で言うと、今日の朝の2時50分頃までに食事を済ませ、2時50分頃から4時過ぎまでの間に朝の礼拝を済ませ、夕方の7時頃まで飲食、喫煙等を一切断つのである。断食は唯一神アラーへの信仰告白や一日5回の礼拝同様、イスラム教徒が神に課せられた最も大事な義務である五行の一つである。
 どうして時間に敢えて頃と付けたかと言うと、同じ東京の時間表でも、不思議な事に時間表の出所によって微妙に数分の違いがあるのである。シーア派スンナ派の違いだと言う人がいたが、僕は本当の事は知らない。この断食が8月8日の6時半頃まで、今日から一ヶ月続く。その間は普段通りの生活を心掛け、仕事の質も量も落としてはならない。そして明けて8月9日が、待ちに待った回教正月となる予定である。予定と言うのは、その頃の月を見ないと最終決定出来ないからである。そもそも断食の始まりも一昨日の月を見て、9日からか10日からかを判断したのだが、日本では8日には月が見えなかったとかで、マレーシアの決定に準じているのだそうである。これがインドネシアの様にムスリムが圧倒的に多いと、わざわざ飛行機を飛ばして雲の上から月を観察するのだが、日本にはそれほどイスラム教徒がいないから飛行機をチャーターする資金も大変だろうし、そこまではやらない。
 そんなインドネシアでも、グループによって意見が分かれる事がある。僕が彼の地にいた時に、丁度そんな事件が起きた。インドネシアにはナフダトール・ウラマとムハマディアと言うイスラムの大きなグループが二つあり、これは何れもスンナ派なのだが、同じスンナ派でも判断が分かれるのである。そして、断食の始まる日が一日ずれると、イスラム教徒にとって一番大事なイスラム正月もそのままずれてしまうのかと心配したが、結局正月は同じ日になった。断食を一日早く始めたムハマディアに従う人々は、その年は一日断食が長かった事になる。
 しかしこんな事も僕に言わせれば、後世の人間が物事を面倒にしたに過ぎない。元々ムハンマドの頃は、日の出の1時間半位前、とか日の入り、或いは影が一番短くなる時、程度の大雑把な礼拝時間の規定である。日の出、日の入りにしても、トルストイの短編ではないけれど、見る場所が高いか低いかだけでも変わってくる。増してやつい最近までは飛行機もなかったのだから、月の満ち欠けも空が曇っていれば大体で判断していたに違いない。だから今の様に、分単位で神経質になる事もなかろうと思うのだが、傍から素人がとやかくいう事ではない。
 それにしてもこの時期の断食は昼間が長いから大変であろう。インドネシアの様に一年中ほぼ昼と夜が同じ地域なら影響はないが、日本の様に夏と冬とで昼間の長さに大差がある地域では、夏に断食が巡って来ればかなりの苦行になる。イスラム教発祥のメッカやメディナも北回帰線の近くだから、年により断食時の昼夜の長さは変わって来るが、日本ほどの事はない。これが北欧やアラスカ、グリンーランド辺りだと、もしイスラム教徒がいたら如何するのであろうか。餓死したり干上がったりしないのだろうか。或いは白夜の地には何か便法が出来ているのであろうか。
 折角関取になった大砂嵐も、本場所中なのに断食が始まる。本来イスラム教は寛容だから、大砂嵐などは無理して今断食をしなくても、本場所中の12日間は借りにしておいて後から出来る時に返せば良いのである。そうしたら良いと切に思うのだが、当人は如何するのであろうか。まあこれも、他人が横から口を挟むべき事ではなかった。