baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 叔父の事

 大分以前に書いた叔父が、今は95歳で未だ一人暮らしを続けていたのだが、先週末の土曜日の朝に熱中症で倒れ、運よく直ぐに発見されて救急病院に運ばれた。折角の三連休は入院手続きやら医者との話やら退院後の事などで、あっという間に潰れてしまった。世の中楽あれば苦ありとは良く言ったもので、バリでの楽しかった夏休みはこれで帳消しである。
 病院では老人ばかりの部屋に入れられて、全員トイレには行かせて貰えない。叔父は自分でトイレに行きたがったのだが、病院側は途中で転んだりされると困るし手も足りないので、ベッドから下りる事は厳禁している。スリッパも呉れない。その上、夜はベッドに拘束する事もあり得ると事前に同意書を取られた。6人部屋で4人は相当痴呆が進んでいる様だが、叔父ともう一人は頭がはっきりしているから気の毒ではある。初めての襁褓は本当に厭らしい。確かに、未だ自分でコントロールできるのに、無理に襁褓に用を足すのは気持ちの良い筈がない。想像しただけでも便意が引っ込みそうである。
 叔父は早く家に帰りたいと言う。幸い発見が早かったので熱中症は軽症で、昨日今日は主治医が休みだったから如何にも出来なかったが、見た処はもう退院しても大丈夫そうである。ただ既に三日も寝たきりだから、もう一人ではトイレにも行けなくなっているのではないかと不安である。そこで今日は退院後の入所先を下見して、今週中に退院できたら入れて貰う手筈は整えた。頑固で我儘な叔父も、流石に心細いのか最後は僕に一任すると言ってくれた。それでも施設に入るのには相当抵抗があるらしい。
 それと未だに介護認定を受けていない。他人が家に入るのを嫌がって、何でも自分で出来るからと介護認定を頑なに拒否していたのである。しかしそれももう無理だから、明日早速介護認定の手続きをする事にした。何れこういう事が来るのは覚悟の上であったが、実の親でもなければ特段世話になった訳でもない、ただ亡父の遺言で葬式を出してやってくれと頼まれただけの事なのだが、いざとなればやはり気の毒ではあり、なるべく不満が無いようにしてやりたいとは思っている。それにしても、倒れても本当に偶然に直ぐに発見された叔父は、何とも強運の持ち主である。なるほどこの強運なら、一番消耗する歩兵軍曹として支那に派遣され、連日の激戦で戦友は次から次へと戦死して行く中で、奇跡的に無事に戻れた訳である。叔父は未だに戦争中の事は黙して語らないが、思い出したくない事が沢山あるのは知っている。明らかな弾傷がある叔父も、日本が今の民主国家に脱皮する為に血を流した一人である事は間違いない。