baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 不可解な昨今の大相撲の物言い

 最近の大相撲は以前ほど面白くないので、前ほど真剣に見なくなっている。と言うのは、この頃物言いがどうも可笑しいのである。昔は物言いが付けば、大体は優勝争いに絡む力士が勝つか、或いは協会で力のある部屋の力士が勝ったり、或いは土俵下の勝負審判員の力関係で、相当無理な判定でも勝ち負けが引っ繰り返ったりしていた。しかしそれはそれで、そういうものであったから仕方がなかった。元々大相撲は興業だから、後半戦になれば見世物として盛り上げる為の協会の筋書きがあったのは、表向きは言わないけれども誰でも知っていた。千秋楽に横綱同士の優勝決定戦が出来るかどうかの重要な一戦は、ほぼ例外なく優勝を千秋楽に持ち越す勝敗になっていた。それは八百長というレベルではなく、興業としてはそうする方が良かったからである。その為には、横綱といえども負けていた。勿論素人目に分かる様な勝敗ではない大熱戦の末の勝ち負けなのだが、結果は興業的に良い方に転んでいた。誰が見ても協会の筋書きであった。それでも相撲は、見ているだけで力の入る熱戦であったのである。
 それが数年前の八百長問題で、相撲協会が良い子ぶってからすっかり可笑しくなってしまった。八百長と言うから聞こえが悪いが、力士間の貸し借りもあったろうし、協会の筋書きによる勝敗もあった筈である。我々部外者には知る由もないが、部屋間の貸し借りもあったであろう。そんな協会の筋書きの勝敗や部屋同士の貸し借りには一切触れずに、力士間の事前の合意だけを問題にしたから可笑しな事になった。所詮、力士間だけのことなのか協会の筋書きに沿ったものなのか、或いは部屋の親方の話し合いの結果なのかの線引きが出来る筈がない。蒼国来のカムバックがその良い例である。恐らく協会は、一旦協会に睨まれたら所詮は力士としてやって行けないから蒼国来の様な反乱力士は出ないだろうと高を括って、親方に力のない部屋の力士、或いは谷町の少ない外国人を軽く見て血祭りに上げたのだと僕は思っている。この八百長問題以来、暫くは協会も大人しかった。ところがここへ来て、また興業精神と言うべきか、或いは部屋の力関係と言う方が正鵠を射ているのか、不公正が頭を擡げて来たと言うのが僕の見立てである。初めから興業ですから、と開き直っているのなら僕は別に文句は言わない。ところが如何にも公平で公明正大な様な顔をして、弱い者いじめをするから面白くないのである。
 その典型的な例が今場所の琴欧洲である。琴欧洲が物言いで負けた勝負、先ずは高安戦では、高安自身が分が悪いと思ったと言う程高安の分が悪かった。それでもこの勝負は取り直しなら未だ納得できないことはなかったが、物言いの結果は琴欧洲の負けであった。そして今日の松鳳山戦である。何度ビデオを見ても、琴欧洲の体は未だ完全に残っているが、松鳳山の右足は裏返っている。どこから見ても琴欧洲の勝ちは明らかであった。にも拘わらず物言いが付き、ビデオルームとも無線で話をしているのに、松鳳山が勝ってしまった。佐渡ヶ竹部屋の親方が元琴ノ若と言う、大関にもなっていない親方の部屋が馬鹿にされているとしか思えない判定である。琴欧洲は、これで今場所は2番損をしていると僕は思う。
 テレビを見ている素人でも、ビデオを何度も見れば分かる事である。NHKのアナウンサーも、偶々今日の解説者であった、八百長で有名な千代の富士も、昔の物言いの時と同じように勝負審判員の判定を慮って歯に衣を着せたような事しか言わなかった。これも昔の物言いの時と同じである。そもそも昔は、NHKもきわどい勝敗では肝心の土俵際の足元などは見えない様にリプレーしていた。だからテレビを見ていても、本当の処は視聴者には分からなかった。時には新聞が、判定が可笑しいと決定的な写真を掲載して暗に協会を非難したりもしたが、所詮昔は興業と割り切っていたから誰もそれ以上の問題にはしなかった。ところが昨今はメディアもすっかり鳴りを潜め、協会は良い子ぶりながらまた可笑しな判定をし始めた。
 昔と違って今はいろいろな角度からビデオを撮っていて、しかも肝心の処をカットする訳にも行かなくなっているから、テレビ観戦していれば多少相撲に興味がある視聴者なら誰にでも勝敗は分かる。自宅でビデオを取っていれば尚の事である。その視聴者を虚仮にする勝負判定は、大相撲離れを招く事はあっても人気が戻る事には決して繋がらない。相撲協会は興業面での利益、或いは相撲社会の力関係を復活させようとしているのか、それとも本気で公正なスポーツにしようとしているのか。少なくとも公正なスポーツにしようと思っているのなら、今日の様な不公正な判定は起こり得ない。相撲は興業ですとか、相撲は神事なので勝敗は二の次ですと正直に開き直るのなら、僕はこんな文句は言わない。しかしどっちつかずの顔をして、今場所の様ないい加減な事をされれば僕はすっかり興醒めである。