baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 ホンダジェット

 ホンダが米国で開発している7人乗りの小型ビジネスジェット機、ホンダ・ジェット。創業者の本田宗一郎の夢であったホンダの航空機がもう直ぐ世界の空を飛ぼうとしている。残念ながら、当初予定されていた2012年後半から納入開始と言う予定は、2013年後半に延び、更に現状では2014年後半になるらしい。米国は米国製品が日本に入らないと二言目には日本の非関税障壁と大声で文句を言いたてるが、航空機の型式証明取得などは米国の非関税障壁の象徴の感がする。

(奥が量産初号機、手前が量産3号機。因みに4号機はイエロー、5号機はライトブルーのカラーリングが為されている)
 ホンダジェットは、エンジンも自社開発である。エンジンのホンダが面子に掛けて開発したHF118と言うターボ・ファンエンジンを米GEとの合弁会社に移牒して販売、サービスを先行させたが、それをさらに改良したHF120と言うエンジンが量産機には搭載されるらしい。機体のデザインはズングリしていて、ユニークなカラーリングと相俟って熱帯魚を彷彿とさせる愛らしい姿である。胴体がズングリしているのは、将来機体を伸ばして搭乗人数を増やす事を考えているからである。
 そして何と言ってもユニークなのが、エンジンが主翼の上に配置されている点である。従来はエンジンを主翼の上に配置すると抵抗が大きくなり、実用性がないと言われていた由。実際に主翼の上にエンジンを配置した旅客機が以前ドイツで作られたらしいが、予想通り巡航時の空気抵抗が大き過ぎて失敗したと言う。それをホンダは独自の理論と、計算され尽くした配置やパイロンの形状で、見事にピンポイントの場所を見付け翼上配置に成功した。その結果他社の同種の航空機に比べ、キャビンが訳20%広くなり、燃費も約20%向上したと言う。キャビンが広くなったと言うのは、小型機の場合はエンジンを翼下に吊り下げられないので胴体後部に取り付けるのが普通の方式である。その為にはキャビン・スペースを犠牲にしてエンジン取付の為の構造材を胴体の中に通す必要があった。その構造材が不要になった分、キャビンが広くなったと言う事である。
 また翼型も設計のコンセプトから見直し、従来のこのクラスの航空機に一般的であった翼厚比10-12%を15%に上げながら、空気抵抗は押さえつつ大きな揚力と大きな燃料容量を実現した。このほか、機体の軽量化や構造設計にも幾多の斬新な手法が取り入れられている。この独創的な設計で、開発設計責任者の藤野道格は米航空宇宙学会から、日本人初の航空機設計賞(デザイン・アワォード)を与えられた。ゼロから出発したが為に為し得た、旧来の概念に捉われない斬新な設計が可能だった訳である。コンセプト機の初飛行は2003年12月3日、その後2006年の商業化の決定を経て、量産機の初号機、3号機、4号機が何れも順調に試験飛行に成功し、最新の5号機は今年の5月20日に初飛行に成功している。現在種々のデーターを集めて米連邦航空局の型式認定取得に努めているところである。量産機2号機は、同じく米連邦航空局の型式認定に必要な機体強度試験に使われていて、空は飛んでいない。
 僕は子供の頃から飛行機が大好きで、小学生の頃は大人になったら飛行機を作るのが夢であった。しかし中学生の頃に、当時の航空機業界は軍用機なくしてはやっていけない事に気付き、飛行機は模型で遊ぶ事にした。子供心にも、人を殺傷する飛行機は作りたくないと思った。当時は今ほどビジネスジェットが発達するとは思いも付かず、飛行機と言えば戦闘機や爆撃機が主流で、旅客機もまだ今ほど機種は多くなかった時代である。航空機の大手であったロッキード、マクダネル・ダグラス、ボーイング、スホイなど、何れも旅客機を作っていたが主体は軍用機のメーカーであったから、子供ながら僕の判断が大きく間違っていた訳ではない。
 しかし最近は航空機の需要が格段に増えて、軍用機を作らなくてもメーカーはやって行けるようになったと言う事であろう。とは言え僕が今から飛行機作りに携わるには遅すぎる。だから、せめてこんな飛行機を自分で操縦してみたいと思う。コックピットの写真を見ると、以前の飛行機とは大違い、天井には計器は見られず、全ては三面の大型液晶モニターと二面のタッチパネルに集約されている。以前、自衛隊の大型ヘリコプターのコックピットに座らせて貰った事があるが、座席は酷く狭くて窮屈で、上にも下にも計器だらけで、こんなに沢山の計器に埋もれて一つ一つチェックをしながら、一体どうやって操縦する暇を見つけるのか訝しかったが、ホンダジェットはそんなイメージとは程遠い。愛くるしい熱帯魚の様な機体を操って大空を駆けたらさぞ楽しいであろう。残念ながらこの夢が現実になる事はないだろうけれど。
 それにしても、本田宗一郎の夢を実現した藤野道格と言う人は、何度も挫折しそうになりながら、エンジンも機体も独自開発で、独創的なデザインの飛行機を本当に飛ばしてしまった。僕よりも随分若い人だが、僕にはヒーローである。