baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 本命なき都知事選

 都知事選が始まった。猪瀬直樹の、直ぐに馬脚が現れる嘘ばかりの答弁で、都民としては情けないやら嘆かわしいやらの知事辞任による都知事選である。猪瀬直樹は、都知事選挙が終わったら、少し臭い飯を食って来たら良い。都民をバカにするにも程がある。
 昨日、たまたま渋谷で外に出た。地下鉄銀座線からハチ公前に出たら、異様な光景に驚かされた。尋常ではない群衆に、異様に多数の警官が混じっている。一機の旗を持っている警官がいる。テロでもあったかと思ったら、細川護煕小泉純一郎選挙カーから演説をぶっていたのである。最初は細川護煕の演説であった。別に聞きたかった訳ではないが、群衆で自由に歩けなかったので、嫌でも耳に入ってしまう。その演説を一言で言えば、全く内容がない、とても都政を任せられる政策があるとは思えない、お粗末極まりない演説であった。しかも演説の最中に何度も口淀み、もう惚けが来ている趣であった。それを応援する小泉純一郎は、声を枯らしながらもこれまた「脱原発」一本槍で、「東京が変われば日本が変わる」と訳の分からない小泉流で人心を欺こうとしている。そこには少しも具体策がない、単なるスローガンである。原発廃止で都政を操ろうなどとする事自体、一体何を考えているのか疑わしいが、そこに惚けが加わればもう細川にはお引き取り願うしかない。猪瀬直樹も及ばない献金疑惑で首相を辞任した賞味期限切れの元首相には、「殿、ご乱心」としか言い様がない。
 小泉純一郎にしても、大人しくしていれば良いものを、他人にちやほやされないと気が済まない性格がまたまた表に出てしまい、「脱原発」一本槍で人目を惹いてご満悦の様子である。小泉の脱原発は、偏に放射能汚染廃棄物の処理方法に未だ目途がついていない事を理由としているらしいが、自分が総理をしていた時には行け行けドンドンで原発を推進していた男である。もうその当時から原発のゴミは作られていた。今更ゴミの処理が出来ないから、などと言う御託を並べる資格は小泉にはない。一緒にゴミを如何するかを考えなければならない立場の元総理が、無責任にも脱原発を唱えて自らの免罪符にしようとしているのは、余りにも醜悪な様としか言いようがない。
 他方で自公が推す舛添要一に到っては、政策ではなく品行のレベルでもう救い様がない。舛添が自民党を離党して新党改革の代表に座った時のえげつなさは、どう贔屓目にみても人品の劣悪さが表出していた。加えて、私生活は政治家の能力とは無関係とは思う物の、昨今週刊誌に叩かれている私生活の乱れ振りも、あの時のえげつなさを思い出せば然にありなんなのである。厚生相の時の国会答弁でもその品位の低さは露呈されていたが、片山さつきの暴露記事を見れば、やはりその程度の男だったのだと納得する。しかも都政を任せるに相応しいか否かの出自にも諸説がある。
 宇都宮健治などは、論ずるのも虚しい。左翼弁護士が恰も弱者の肩を持つ振りをして、国、地方自治体、大企業を相手取って、市民を唆して訴訟を起こすのは昨今は珍しい事ではないが、その弁護士費用が極めて高額であり、一般の弁護士から言わせれば悪徳の範疇である事は、多少なりとも法曹界に情報源がある者であれば誰でも知っている。斯かる悪徳弁護士の権化であろう宇都宮は、都知事としては論外である。売国政党の推薦と相俟って、救いようのない売名候補としか言い様がない。恐らくは、あわよくば都知事の報酬を手にしたいのであろう、心貧しい弁護士崩れなのである。
 と、こうして消去して行けば、残るのは田母神俊雄しか残らない。田母神の政権演説で、これはと思うのが「正しい歴史観、正しい国家観」を持った教師を養成しなければならない、と言う下りである。戦後60年、元々ソ連コミンテルンに支配された日教組に散々に蹂躙された日本の教育、国歌にも国旗にも敬意を払わない国民が育てられてしまった我が国を正常に戻すには、真っ当な教師の育成から始めるしかないという田母神の主張には心底賛同する。殊に敗戦後は日本では軍人は常に政界から遠ざけられて来たが、世界では軍人が軍を退役した後に政界を牛耳るのは珍しい事ではない。その意味で、都政程度で制服組に一度やらせてみたたら如何かと言う思いはある。しかし、猪瀬直樹細川護煕の例を引くまでもなく、素人には伏魔殿の如き政界で、制服自衛官であった田母神が、例え頭脳は鋭敏でも、一体何処まで伏魔殿を取り仕切れるのか、不安は拭えない。相当な右派である田母神が、一線を踏み越えて極右に走らない保証もない。
 こうして見れば、スウェーデンの国家予算にも匹敵する予算を抱え、オリンピックを既に引き受けてしまった東京都の知事としては、何れも諸手を上げて投票するには不安な候補者ばかりである。今回は本当に悩ましい都知事選になってしまった。