baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 何故靖国なのか?

 安倍晋三靖国神社を参拝して、中韓のみならず米国から迄も不快を買っている。欧州諸国でも、日本の宣伝不足もあり批判的な論調が多いと聞く。だからと言って、別に中韓の意見を聞き、顔色を窺う必要はないと僕は思う。総理大臣の戦没者墓参は飽く迄も日本固有の問題であり、日本の為、日本国民の為と信じて斃れた戦死者を総理大臣が参拝する事に他国からとやかく言われる筋はない。戦犯が合祀されていると言うのも、仮に彼らが本当に非道な犯罪人であったにせよ既に処刑されて贖罪の済んだ人々であるから、それが直ぐに問題であるとは思わない。靖国問題を故意に歴史問題に摩り替えて大袈裟に政治問題に化し、声高に日本を非難する中韓には許し難い憤怒を感じても、聊かの同感もない。
 しかし、何故今に及んでも尚、靖国神社なのであろうか。安倍晋三は第一次内閣の時に靖国参拝を果たせなかった事に慚愧の念を感じているそうであるが、如何して靖国神社でなければならないのであろうか。神道の究極の現人神である天皇ですら、昭和天皇A級戦犯合祀後、今生天皇は全く靖国には参拝しないと言うのに、どうして総理大臣が意地を張って靖国に赴き、徒に近隣の国を刺激するのであろうか。安倍晋三は個人としての参拝と強弁するが、総理大臣が一歩私邸を出れば個人などという屁理屈が通る道理もない。玉串料が個人の財布から出たか公費から出たかなどと言うみみっちい話は単なる屁理屈に過ぎず、SPをゾロゾロと引き連れて黒塗りの公用車で颯爽と乗り付けて、それで個人の参拝ですと幾ら言い張っても誰も頷けるものではない。
 日本には過半の仏教徒と、少数のクリスチャンと更に少数の神道を信じる者と、更には他宗教の人間も僅かながらも混在している。そんな混沌とした中でも宗教間の抗争は決して起こらず、信仰の自由が完璧に保証されているのが日本である筈である。大統領が就任する時に聖書に手を置いて宣誓する米国とか、義務教育のカリキュラムにキリスト教の教えが取り入れられているドイツとかなどとは違い、日本では政教分離が類い無く成し遂げられている、世界でも数少ない理想的な国の筈である。毎週日曜日に教会に通う良きクリスチャンを気取らずとも、日本では神社に参拝するかしないかが選挙の票に影響する事は聊かもない。天皇も公務では決して神道は表に出さず、皇居内の伝統行事を密やかに執り行う時を除けば、何処にも神道を感じさせる所作はない。天皇ですら其処まで細心の配慮をしていると言うのに、僕にはどうして総理という公職にある者が斯くも思慮の浅い行動を取るのか理解できない。アベノミクスと称している安倍政権の経済政策が今の処順調に推移しており、参院選でも自公が大勝し、積極外交もそれなりに功を奏し始めたかに見え、更には鳩山由紀夫が妄言を吐いて迷走させてしまった普天間基地辺野古への移転にもやっと動きが出た、この政権運営1年を経て安倍晋三には驕りが出たとしか思えない。
 僕は、以前から何度か本ブログに書いている如く、靖国神社戦没者の象徴とするのは何処から見ても間違っていると思う。戦没者が全員神道である筈はなく、過半数仏教徒と可也のクリスチャンが混じっているに相違ない戦没者の合祀は、神社と言う特定の宗教、乃至はその実態は土俗信仰とか伝統文化と呼ぶ方が相応しいのかもしれないが、に属する施設ではなく、無宗教の、例えば千鳥ヶ淵の如き場所を選ぶべきであるのだ。しかも、神社には何処か国粋主義の薫が漂ってしまうから、悪意の周辺国が騒ぎ立てるには都合が良い。
 他方、千鳥ヶ淵にはケリー国務長官も参拝してくれた如く、海外の理解を得るのに困難はない。全ての戦没者が例えば千鳥ヶ淵の様な特定の宗教に属さない施設に移れば、全ては丸く収まるではないか。その時にA級戦犯靖国に残っても僕は別に構わないが、合祀されている事によって徒に周辺国に政治的軋轢の口実を与えてしまうのなら他の戦没者との合祀は遠慮して貰った方が良い。どうしても合祀しなければならない理由も見当たらないし、そもそも遺族の中にも、二言目には東条英機だなんだと言われるよりは、そっとしておいて欲しいと言う思いの人もいるに違いない。
 僕はA級戦犯が犯罪人だとは思っていないし、東京裁判自体が戦勝国の報復裁判だった面は否めないと思うが、だからと言って彼等を英雄だ、偉人だと肯定する積りも勿論ない。東条英機吉田茂も岸伸介も佐藤栄作も、その時々の総理大臣であったに過ぎず、歴史と言う悠久の流れにたまたま一時期竿を差した人に過ぎないと思っている。そして、その個々の功罪は、何れ歴史が徐々に明らかにしてくれる。