baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 インドネシア〜独立記念日

 先週からこちらに来ていて、今日で5日目になる。今日はインドネシアの69回目の独立記念日にあたる。インドネシアの国旗は上半分が赤、下半分が白で、インドネシアの旗を逆さまにするとポーランドの旗になる。日章旗とも似通った、真紅と白のコントラストが美しいシンプルな旗である。独立記念日が近づくと、市内の省庁の建物やホテルなどには、この国旗にちなんだ紅白の幔幕が張り巡らされる。祝典に紅白の幔幕を張り巡らす日本人には、如何にも見慣れたお祝いムードである。僕のホテルを上から見下ろすと、正面ロビーの前に立てられた5本のポールには何れも大きなインドネシア国旗が、車の出入り口前の3本のポールにも大きな国旗が、そしてロビーの上に張り出した屋根の上には小型の国旗が何十本もはためいている。
 テレビではまた、毎年恒例の独立記念日を盛り上げる番組が朝から続く。初代大統領のスカルノが、スハルト程ではないにせよジャワ訛りの残るインドネシア語で、独立宣言を読み上げる声が何度も流される。昔よりは雑音が遙かに減っていて聞き易くなっているとは言え、音質の悪い、すり減ったレコードの様な音である。10時になると大統領官邸の近くの独立記念広場に特設された式典会場で、毎年恒例の式典が始まる。陸海空軍、海兵隊、警察部隊の儀仗隊の行進、どの部隊にも婦人部隊があってそれぞれ女性だけのグループの行進もある。純白の制服に身を包んだ高校生の行進が続く。男女共に黒い帽子を被っている。皆胸を張って整然と行進する。全国の高校生から選ばれた美貌ながらも健康的な姿態の女高生が、スカルノの独立宣言の際に掲揚された国旗のレプリカを大統領から直接受け取り、後ずさりしながら一段ずつ階段を下り、階段を下りきると回れ右をして国旗掲揚台の下まで運び、そこに待ち構える男子高生に手渡すとやおら国旗が静かに掲揚される。リヤカーのような荷車に据えられた小さな大砲から、白煙を上げながら発射される17発の号砲が鳴り響く。今年は17機の戦闘機が轟音をとどろかせながら雁の様な形の編隊飛行を行い、最後尾の戦闘機から吐き出された白い煙を上空に描きながら飛び去った。この時ばかりはホテルの室内で見ていたテレビの音はかき消され、窓ガラスを通して実際の轟音が部屋に飛び込んできた。
 以前にも書いたが、インドネシアでは独立記念日は国中が浮かれる楽しい休日である。「独立の日」と言う勇ましい曲が一日中そこかしこに流れている。この歌がまた日本人の耳には馴染みやすく、知らぬ間に自然に口ずさんでしまう。「インドネシア・ラヤ(偉大なインドネシア)」と名付けられた国歌も、今日ばかりは何度も耳にする。インドネシア、我が祖国、我が血が流れた大地.....1945年8月17日に前田少将の指導で書かれた独立宣言を読み上げた後に、舞い戻ってきた蘭軍との4年余に及ぶ壮絶な独立戦争を戦って勝ち取った独立であるから、斯様な国歌にも真実味が漂う。
 独立記念日は休日ではあるけれど、学校では独立記念広場での式典と同様の行進と国旗掲揚、国歌斉唱が行われる。住宅街では隣組ごとに同様の式典があり、やはり国旗の掲揚と国歌斉唱がなされる。夕方立ち寄ったモールではロビーで未だ催しが続いており、調度僕が入った時には、舞台衣装に身を包んだ合唱団とバンドによるライブ音楽で「独立の日」が雄々しく歌われていた。国民全員がいかにも自然に国旗と国歌に敬意を払い、独立国である事を心の底から祝う今日なのである。国歌斉唱に加わらないだとか、国旗掲揚の際に敬礼しないインドネシア人がいる話はついぞ聞いた事がない。日本人もそろそろ被虐的な国家観から脱皮する時期が来ている。