baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 謹賀新年

 明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお引き立ての程をお願い申し上げます。
 などと殊勝なご挨拶だが、実は今年の正月はとんでもない寝正月になってしまった。年末の29日に始まった眩暈で、折角の9連休を棒に振る羽目になってしまったのである。後から聞けば、随分色々な人が一度は酷い眩暈を経験しているようで、別に世間では珍しい話ではなかったらしいのだが、生まれて初めての僕にとっては中々の得難い経験であった。
 29日の朝であった。普通に朝起き上がったら酷くクラクラと覚束ない。どう考えても平衡感覚に異常を来している。吐き気もする。立てになっていると食欲もなく気分も悪いので横になったらそのまま寝入ってしまい、目が覚めたら昼を回っていた。そろそろと起き上がって見たが、もう朝ほど酷い眩暈はない。そのままそれ以降は普通の一日を過ごしたが、多少のクラクラ感と吐き気は終日付き纏っていた。それでその日は早めに床に就いた。
 翌朝未明の事である。トイレに起き上がったら猛烈な眩暈である。それでもベッドに手を付きながら起き上ったが、床が、壁が、猛烈な勢いで回転していて平衡感覚が全く失われている。しかしトイレには行かねばならぬので、目一杯身を屈めて両手を広げていざり出したのだが、全く平衡が取れぬままにドサリと横転した。平衡感覚がないから庇い手も付けない。文字通り、屈めた身体が大袈裟ではなくドサリともんどり打って横転した。同時に猛烈な吐き気に襲われた。目をつぶって、四つん這いになってトイレに行き、そのままベッドに這い戻った。目を開けると天井が物凄い速さでグルグルと回る。まるで中国で、白酒の乾杯攻勢で急性アルコール中毒になって死に損なった時の様である。しかも、時々景色が左右に120度ぐらいブレる。0.5秒ぐらいで120度を一往復するから、生きた心地もしない。現実に嘔吐しないのが不思議なぐらい、強烈な吐き気がする。とても目を開けていられないので目をつぶるのだが、暗闇の中で何だか体が地の底に吸い込まれて行く様な感覚である。
 病院に行く事も考えたが、立てないのだから救急車を呼ぶしかない。しかし単なる眩暈で、他にはこれといった自覚症状もないのに救急車を呼ぶのは気が引ける。日頃から、タクシー代の節約の為かと思われる救急車の出動要請が多いと聞き腹を立てている事もあり、この程度で救急車を呼んでは言行不一致とやせ我慢を決め込んだ。その中に寝入ってしまった。どれだけ寝たのだろう、目が覚めて恐る恐る目を開けてみたら、未だ天井はグルグル回っているけれども朝ほどではない。時計を見ると、もう夕方の4時を回っている。それでも立てになる気力はなく、三十日はずっと横になっていた。
 大晦日は朝から大分増しになっていて何とか起きる事も出来たので、親切な隣人に車で病院に連れて行って貰った。一応耳鼻科のある病院を探し、救急に耳鼻科医が当番で来ている事を確認してから出発した。車で揺られると吐き気が増すので、なるべく揺れない様に、特に遠心力が掛からない様な運転を頼んだ。カーブすると吐き気が酷くなる。
 大学病院の救急受け付けは、芋を洗う混雑で大混乱であった。耳鼻科の診察は何時になるか分からない、取り敢えず内科で受診しろとの受付のアドヴァイスである。こちらも立てになっているのが辛いから、内科で妥協した。それでも1時間以上待たされた。椅子に座っていられないのでベンチで横になっていた。内科の医師は親切で、出来る限りの診察を行い、脳のCTも撮ったけれども異常はなく、やはり耳鼻科を受信するように、ただし大晦日は検査も出来ないし何時まで待つかも分からないから年明けに来るようにと言われ、こちらももう我慢の限界だったので大人しく内科医の言に従った。
 元日、二日は殆ど寝ていた。我ながら良くぞこれ程寝られるものよと思う程良く寝た。三日になり大分気分も良くなり吐き気も治まったので、高齢の叔父と叔母への年賀だけは何とか果たした。それでもスクーターに乗ったら、大分気分が良くなった。一方で歩くと未だフラつくので、スクーターの運転には細心の注意を払った。
 そして今日、再び病院へ行き耳鼻科医の診断を受けた。その結果は、何の異常も認められない、恐らく一過性の眩暈だったと思われるがまた同様の症状が出た時は遅滞なく受診するように、とのご宣託であった。何だか狐につままれたようなこの一週間であった。しかし、突発性の眩暈だからバイクや車の運転は控える様にと言われたらどうしようと内心怯えていたので、何事もなくてほっとしている。