baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 日本の救急医療

 先週、生まれて初めて救急車という代物に患者として乗った。より正確に言うと、以前バリ島でバイク事故を起こした時に乗った事はあるのだけれど、その時は病院に搬送されるに当たり救急車に乗るか、金はあるかと訊かれ、金はあるから救急車を呼んで欲しいと頼むと、今度は付き添いの看護師を付けるか如何か訊かれ、幾ら掛かっても良いから看護師も付けてくれと頼んで、運転手と看護師が一人付いた救急車に乗った事はある。この時は4ヶ所骨折していたので、救急車でなければ身動きが付かなかったのだが、自分の中では何故か、救急車に乗せて貰った気がしない。この時以外は付添いでも乗った事はないから、今回は生まれて初めて、正真正銘救急車に乗せて貰った。
 その日は朝から背中に鈍痛があった。気分が悪いので10時過ぎに横になり、そのまま寝入ってしまった。まだ痛みはその程度であった。昼過ぎに目が覚めたが、この時も未だ痛みで目が覚めた訳ではない。しかし、相当痛みが酷くなっていて、しかも刻々と痛みが増してくる。2時を回る頃にはもう如何にもこうにもじっとしていられない程右の腰の後ろが痛み出した。それでも未だ救急車を呼ぼうかタクシーにしようか迷っていた。日頃からタクシー代わりに救急車を呼ぶ人が多いと聞き憤っていたので、いざ自分の時に無闇に救急車を呼ぶのが憚られた。取り敢えず病院の救急に電話をした。その時にはもう殆ど動けなくなっていたので、病院の電話番号も104で調べた。未だ104なるものが残っているのが有難かった。近所にも救急病院はあるのだが、其処へ行くと木箱詰めにされて帰ってきそうで、そこには行きたくなかったので、都心の総合病院の救急受け付けに電話を入れたのである。救急では症状を訊かれ、来れば受け入れると言って呉れた。診察券があったのが役に立った。その頃にはもうタクシーを使う事は不可能となっていた。どうにも痛みに耐えられないので、ここまで我慢すれば許されるだろうと、救急車を呼んだ。しかし、それでも近隣への見栄があって、表に出ているから表で拾って欲しいと頼み、集合住宅の表玄関まで這って出て行った。
 5〜6分もすると救急車のサイレンが聞こえて来た。目の前で手を挙げると、乗せてくれた。値段の交渉がないのが有難かった。この頃には既に息も絶え絶えになっていたが、それでも電話をした病院に連れて行って欲しいと懇請した。この時も診察券があるのが役に立ったらしい。何やら内輪で相談していたが、最後は頼みを聞いてくれた。やっと救急車が、サイレンを鳴らしながら走り出した。インドネシアではサイレンは鳴らさなかった様に思うので、やっと本物の救急車に乗った気分なのだが、実は七転八倒していてあまり本物の救急車を賞味する余裕はなかった。首都高を使ってくれるのかと思ったらずっと下道を行くのも当てが外れた。幾らサイレンを鳴らしても、信号では止まるので結構な時間が掛かる。時々窓外に目をやれば、未だそれ程進んでいない事が分かり、がっかりする。とにかく痛くて苦しいから、早く病院に着いて欲しいのである。それと乗り心地は相当に悪い。バリの救急車がゴツゴツと道路の凸凹を拾うのが骨折に響いて、悪態を付いていたのだが、日本の救急車も乗り心地ではバリのそれと変わらない。考えてみればバリの救急車も日本製だったから、当たり前と言えば当たり前である。
 それでも30分程我慢をしていたら、病院に着いた。日本の病院は凄いと思った。救急医が外で待ち受けていてくれて、救急隊員と一緒にストレッチャーを押して救急室に運び込んでくれた。そこでは既に看護師が待機していて、手早く次々とデーターが取られ、その場で超音波検査もしてくれる。その場の検査が一通り済むと、今度はストレッチャーに乗せられたままレントゲン室へ運ばれ、レントゲンやCTを撮られる。鎮痛剤も打ってくれたのだが、一向に効かないので、何とか痛みを和らげて欲しいと懇願すると、別の鎮痛剤を打ってくれた。後から聞いたら麻薬系の、相当強い鎮痛剤であった。習慣性があるので沢山は使えないそうである。この薬はたしかに効果があり、痛みは半減した。医者が三人がかりで検査結果を見たり触診したりするのだが、どうも理由がはっきりしない。虫垂炎か尿路結石の可能性が高いけれども、検査の数値を見ると疑問が湧くと言う。そんな訳で、更に造影剤を注入したCTや、動脈から採血までして色々調べてくれたけれども、その日はやはり断定できる病名の診断が付かなかった。造影剤を入れると体が中から熱く成り、造影剤が巡っているのが実感できる。動脈からの採決は生まれて初めてで怖かったけれど、何という事もなく直ぐに終わってしまった。動脈を傷付けても、そう簡単には死なない事が分かった。
 その日はそのまま緊急入院と言う事で、生理食塩水と鎮痛剤と炎症を抑える抗生物質の点滴を受けたが、虫垂炎の手術の可能性も無い訳ではないので経口では水も食物も摂らないようにとの事であった。夜中に二本目の麻薬系の鎮痛剤が切れたのでもう一本頼んだが、もうダメだと断られた。この時には少し痛みは和らいではいたのだが、それでも通常の鎮痛剤では余り効果がなく、一晩痛みと闘っていた。その間も定期的に採血は続いた。一定の間隔で数値の変化を診るのだそうだ。自己診断で、死ぬ様な病気だとは端から思っていなかったが、短時間に手早く様々な検査が行われ、またその検査に携わる医者を頂点とするスタッフの手際の良さは素晴らしいものであった。海外の医療施設も見ているだけに、その落差は筆舌に尽くし難く、つくづく日本に生まれて良かったと実感した。
 翌朝医者が来て、採血結果から虫垂炎の可能性はほぼゼロだとのご宣託であった。結石も大きな、悪さをする様な物は見当たらないと言う。しかし未だ腰は痛む。結石が出てしまったのであれば、痛みの説明が付かない。要するに原因不明なのである。とまぁ、そんな事を二日ほど続け、三日目の夕方に「治療の方法がないから、自宅で鎮痛剤を飲みながら療養する方が良かろう」と言われ、即決で退院した。流石に帰りはタクシーを使ったけれど、未だ座っているのが辛かった。そんな痛みも数日後にはほぼ消えて、今は普通にしている。一体何だったのだろう?再発が怖い。
 それにしても、昨年末の眩暈と言い、今回の件と言い、何れも大過なく通り過ぎたけれど、どうやら少し身体が変調を来している様である。少し生活のペースを見直す必要がある様である。