baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 断食

 断食が始まった。断食は月を見てから初日を決めるので、経度の差により国によって若干始まる日が異なるが、インドネシアを初めとする大部分のイスラム国では今年は8月22日から断食が始まっている。今年は、と言うのは、イスラム教では宗教儀式は旧暦に準じるので、西洋暦で見ると毎年10日づつ程度行事が早まるのである。
 イスラム教には5つの戒律がある。その内の一つが断食である。断食は、年に一度、貧しくて食べ物も飲み物も口に出来ない人達の辛さを誰もが味わい、持てない人達への優しさ、気遣いを忘れないようにするために課せられる。今朝、ホテルで時間があったのである高名な人のブログを読んでいたら、たまたまイスラムの断食について書いておられたのだが、「イスラムの断食を気の毒に、という人があるが可哀想がる必要はない。何故なら大部分のイスラム教徒は昼と夜の生活を入れ替えて、太陽が昇っている昼間に寝て、太陽が沈んだら起きるからだ。」と書いてあるのを見て吃驚した。こういう断食はアルクルアンでアラーが言っている断食の精神とは全く異なるし、現実に僕が生活を共にしたバングラデシュインドネシアの人達は普段の生活を全く変えずに断食をしていたからだ。中東の金持ちなどには、そういう断食もあるかも知れないが、通常では考えられない。
 断食が始まると陽が昇る前に起きて、インドネシアでは通常3時頃なのだが、お祈りをして朝食を摂る。そして一旦休み、通常の朝の時間に、5時半とか6時に再び起きるのだが、それからはもう一切物は口にしない。タバコもご法度なら、男女が睦み合う事もご法度である。陽が沈むまで、物は一切口にしないし、嘘をついたり穢れた事を想像したりするのもご法度である。
 陽が沈むと、先ず飲み物を少量口にして渇きを癒し、ケーキやスナックを口にして胃を刺激してから、お祈りをする。空腹時に突然多量に食べたり飲んだりするとトラブルの元になるので、先ず胃を馴らす。そして、暫くしてから夕食となる。夕食の時には一族郎党や職場の仲間が持ち回りで誰かの家に集まり一緒に夕食を楽しむ事も頻繁に行われる。僕は本当の断食はした事がないので想像でしかないが、例えばインドネシアのように暑いところで一日飲まず食わずで過ごせば非常に辛いと思う。それだけに、この夕食は楽しいであろう。しかし、本質は持てない人たちの辛さを慮り、思いやりを忘れない為の苦行であるのだ。
 元々イスラム教はベドウィンが住むアラビアの砂漠地帯で8世紀初頭に僅か20年で宗教の体を成した驚異的な宗教である。砂漠であるから、ツイていなければ、水も塩も食べ物も手に入らない。だからと言って、今の資本主義のように負け組みは淘汰するシステムではベドウィンが絶滅しかねない。そこに喜捨という制度を義務付け、断食という苦行を通して持てない人たちの苦労を慮る宗教が出来上がった。
 今年は、インドネシアでは9月21日が断食明けの回教正月である。子供達は晴れ着を着せてもらい、親戚一同、隣組一同がお正月を心から祝いあう。僕が子供の頃には、日本でも普通の風景だったけれども今ではもう片鱗もない−少なくとも東京では−お正月が、インドネシアでは大都会でも未だに普通に残っている。増してや一ヶ月に及ぶ苦行の後のお正月、定めし嬉しい新年であろう。