baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 イスラム教

一昨日、イスラム教には5つの戒律があると書いたので、ついでに今日はもう少しイスラム教についての僕なりの説明、というか聞きかじりを記してみたい。
 僕は決してイスラム教徒ではないのだが、どういう訳かイスラム教との関わりが長くなった。駐在したのはバングラデシュインドネシアに二回の計三回であるが、それ以外でもウズベキスタントルクメニスタンには何度も長期出張をしたし、バハレーンやサウディでも仕事をした。
 イスラム教は唯一、コーランに拠って立つ宗教で、コーランを伝えた預言者ムハンマドが最後の預言者なので畢竟コーランしか元ネタが無い。因みに、ムハンマド以前の預言者としてはモーゼとかキリストとか、旧約、新約聖書そのままの人名がコーランにも出てくる。アラーから見れば、彼らは皆自分の言葉を伝える預言者なのだが、その預言者の言葉を聞いた周囲の者達が勝手な解釈をして自分の本意を曲げてしまいユダヤ教キリスト教という邪宗にしてしまった、という理屈である。
 そのコーランも、ムハンマドが20余年間に口頭で周囲の人間に伝えたものを、ムハンマドの死後100年ほどかけて集成したものなので、或る程度の抜けや誤りがあっても仕方がないと思われる。更に、コーランには文責がいない、即ち誰かが責任を持って編纂したものではなく、時の権力者の命令で、書き遺された伝聞を経時的にではなく内容的に似たものを纏めて、誰かが手分けして集成している。聖書では誰々伝、と文責がはっきりしているがコーランにはそれがない。
 イスラム教の勃興期と20年後では周囲の、即ちユダヤ教キリスト教の対応が変わってくるので、ムハンマドの口から出る教えも周囲の変化に対応して変化して来る。この変化が現在のスンニ派シーア派に分かれる要因であるそうだ。また急激に信徒を集めるイスラム教を恐れ始めた異宗教に何度も攻撃され、時には全滅の危機にも見舞われる。こういう時にはムハンマドも聖戦と称して味方を鼓舞、叱咤激励して敵を追い返す。この特異な状況下での聖戦、叱咤激励が現在の原理主義者の拠り所となっているが、コーラン全体のトーンは決して好戦的ではない。むしろ極めて柔軟で包容力に富んでいる。
 イスラム教の戒律で一番厳しく求められ、妥協の余地がないのが唯一の神、アラーの信仰である。多神教偶像崇拝は厳しく禁じている。5つの戒律の内の一つがこの唯一の神、アラーへの信仰である。イスラム教がユダヤ教キリスト教、土俗宗教との争いに勝ち、メッカのカーバ神殿を奪取してイスラム教の聖地と定めた時には、カーバ神殿に祭られていた当時のアラビア人が信じていた多神教の偶像を、ムハンマド自らがその一つ一つを打ち壊して歩いたと言われている。その時に偶々ある石に残されたムハンマドの足跡が今でも残っているそうだが、イスラム教徒でないとメッカには近づけないので勿論僕は見た事はない。メッカが聖地になる前はイェルサレムが聖地だったのだが、遠くて巡礼には大変なのでメッカに遷地した。総じてアラーは非常に柔軟に現実に対応している。
 一日5回の礼拝も戒律の一つである。しかし、各礼拝の時間帯は相当広く取られており、且つ何らかの事情で礼拝が5回出来ない場合には2回分を1度で済ます、などの便宜が認められている。
 次は断食。断食については一昨日書いた通りだが、旅人、妊婦、幼児、病人、生理中の女性、は義務を免除される。免除されるといっても、何もしなくてその分得する訳ではなく、断食をしなかった日数は健康な成人にとっては神に対する負債となるので追って通常の時期に断食をするか、金銭で貧しい人に善行を施す、などの手段で返済する事を求められる。
 次は巡礼である。一生に一度、メッカ巡礼が義務付けられているが、経済的に余裕のあるものは、という条件付きである。言い換えれば、行けたら行きなさい、行けないものは無理しなくても良い、という事である。ムハンマドの頃のメッカ巡礼はラクダで片道一週間前後の行程であったらしいが、まだベドウィンの盗賊が至る所に跋扈していて相当な危険があったものと想像される。イスラムユダヤ教に帰依していないベドウィンは朝から飲んだくれて、カモが通れば金品・食料・女性・動物を略奪するのが生業であったから、危険極まりない。従いメッカにゆくにはある程度の財力があって、それなりの人数とラクダや食料の羊などを揃えて出掛ける必要があったのであろう。勿論、今は飛行機代や宿泊代が必要で、当時と同様誰でも行ける訳ではない。
 最後が喜捨である。持てる者は一定の比率で持てないものに分け与えなければならない、というものであるが、規定が非常に細かく、簡単には記せない。
 コーラン、或いはアルクルアンは、宗教書であると同時に法律書でもあり、生活訓でもある。ムハンマドはメッカで最初にアラーの啓示を受け、数年後に異宗教の迫害が激しくなってきてメディナに逃げ出すのであるが、メッカ時代には精神的な、所謂宗教の根幹をなす発言が多いのに対し、メディナに移ってからは段々日常的な記述も増えてくる。例えば一家の主が死んだ後の遺産の分け方、などというのが極めて細かく決められている。
 本多勝一の「極限の民族」という本を読むとベドウィンと日本人との精神的な違い、特に金銭や物、感謝などについての埋められない溝が如実に書かれていて面白いが、そのべドウィンの財産争いだからよほど事細かに決めておく必要があったであろうことは想像に難くない。聖書や仏教の経典に比べると、コーランは非常に実務的な面を兼ね備えていると言える。