baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 バングラデシュの想い出 〜 (3)

 僕が赴任した頃のバングラデシュの大統領はシェイク=ムジブール・ラーマンという、バングラデシュの建国の父と呼ばれた人だった。アワミ・リーグという政党の創設者で、この政党は今に続いている。この人はインド寄りの人と言われており、更にインドの背後にロシアがいたので社会主義的な政策を取る人だった。インドと近いが為に、独立戦争ではインドを介入させる事に成功し、インドに代理戦争をさせて独立を勝ち取った訳だから、政治家としては大した腕だったと言える。しかし、独立後は国民の人気が段々離れて行く。その理由の一つには、バングラデシュには反インドの気風が強い事が上げられる。
 そして1975年の8月に軍がクーデターを起こす。僅か100名余の歩兵部隊が大統領官邸を包囲、攻撃した。官邸警備の兵隊が全滅して無抵抗になった時、大統領は短銃を片手に建物から庭に歩み出て、「自分は建国の父である。君達に自分は殺せないだろう」と言った由。その言葉が終わるや否や、一斉に十字砲火を浴びせられてあえなく最期を遂げたそうだ。当時のバングラデシュのお札には全てこの人の肖像が印刷されていた。人間誰しも慢心してはいけない、という事だろう。
 この革命政権は軍主導の反インドの政権であったが、11月初めに再び親インド派の革命が起こり、革命政権で大統領についていた人物が殺害された。その3日後に、また軍主導の革命が起き、この時だけは大統領は殺害されなかったが、この革命政府は僅か三日天下で転覆された。この時が、以前僕がこのブログに書いた市街戦が起きたクーデターである。この最後の革命で大統領になった人が、ジアウル・ラーマンという小柄だが精悍な軍人で、この人は暫く大統領をやっていた。しかし最後はやはり革命で殺害されてしまう。このジアウル・ラーマン大統領の時にバングラデシュは初めてインドの桎梏から解放されて、発展の途についたと思う。社会主義の影響の強かった公団制度、国営企業、が順次民営化されていったのはこの政権になってからである。。
 バングラデシュベンガル湾に面する、ガンジス河の洲に出来たような国である。北部に行けば多少山があるし、ビルマとの国境には、昔帝国陸軍が無能で卑劣な軍司令官のお陰で大量の犠牲者を出した戦場で有名な、アラカン山脈と言う山間部もあるが、その国土の殆どが平地である。ダッカは海岸から180kmくらい北に入ったところに位置するが、ダッカの海抜は6〜10mくらいのものである。国土全体がそういう平らな低地なので一旦洪水がおこるとひとたまりもない。
 1974年の夏に、未曽有と言われる大洪水が起きた。山間部で降った雨水が流れて来て徐々に低地を侵食するのであるが、飛行機で上から見ると海岸が無くなっている。行けども行けども、ずぅっと海の続きの様に見えるのだ。ところが時々水の中に家の集落があったり、水からヤシの木が生えたりしている、また浮島のように高台になって孤立しているところに村落が固まっているので、海ではない事が分かる。そんな状態が海岸であるべき処からダッカまで180kmも続いていたのである。恐らくはもっと北の方まで続いていたのであろうが、飛行機がダッカに着陸したので僕には見えなかっただけの事である。ダッカ市内では、下水から水が溢れて来て毎日少しづつ水位が上昇する。昨日までは20〜25cm程の高さがある歩道は何とか歩けたのが、今日はもう水につかってしまい誰かが事務所の前に置いたレンガ伝いに歩く、が明日はそのレンガも水没してしまう、という具合だった。市内でも低地ではボートがないと行き来できなかったし、市内を水陸両用車が走っていた。
 バングラデシュには殆ど年中行事になっている洪水の他に、サイクロンと呼ばれる台風のような熱帯性低気圧と竜巻が頻繁に災害を起こす。サイクロンはインド洋で発達した熱帯性低気圧がいきなり上陸してくるので、非常に勢力が強くしばしば大きな被害をもたらす。ただどういう訳かダッカに来る頃には弱まってしまうので、僕がサイクロンを本当に怖いと思ったことはなかった。素人考えだが、台風のように海上を発達しながら延々と北上して来るのではなく、直ぐに上陸してしまうから台風ほど強大にはならないのかも知れない。それと一般の家は竹を編んだ壁と粗末な草葺き屋根だけで出来ているから、あの程度の風でも飛んでしまうのであろう。
 竜巻は物凄い。日本では経験できない規模である。僕が赴任する二年前にダッカ近郊で大きな竜巻があったという事で、見学に連れて行かれた処には井戸が引き抜かれた跡が残っていた。周りの家も車も牛も、全て巻き上げられて跡形もなくなってしまったそうだ。事実、周囲には戦争の傷跡の爆弾のあとが水たまりになっている以外、未だ何もなかった。僕も竜巻の柱が数本立ち昇って走っているのを遠望した事があるが、桁違いに大きな、映画で見るような竜巻であった。回り中が平地である上に、当時はまだ高い建物も殆どなかったから数キロ先の竜巻が良く見えた。
 ダッカはちょうど北緯23.5度に位置する。北回帰線上である。従い、夏至の日の正午には影がなくなる理屈である。そう思ってある年の夏至の日の正午に外に出て見た。自分の足元を見ると、なるほど下を覗き込んでいる自分の頭だけが陰になっていた。リキシャを見ると、やはりリキシャの真下にだけ影があった。リキシャのタイヤの下には、タイヤの直径分の長さの細長い影が出来ている。正に投影図である。理屈では分かっているのだが、現実に見てみると実に面白いものであった。