baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

バングラデシュ

 ダッカ会

今日はダッカ会と言う会合があり、僕も参加してきた。この会は、僕がダッカに駐在していた頃に一緒にダッカで過ごした仲間が旧交を温めようと集まったもので、今日が第一回の集まりであった。当時のバングラデシュは日本人が総勢170人程度、内訳は家族が110…

 バングラデシュへセンチメンタル・ジャーニー(VI)

バングラデシュへのセンチメンタル・ジャーニーを総括して、少し冗長になってきたこの旅行記は終わりにしよう。 現在のバングラデシュ、特にダッカの実情とバゲルハットの世界遺産を無事に見る事が出来、今回の旅の目的は一応達成出来た。ダッカでは大きな外…

 バングラデシュへセンチメンタル・ジャーニー(V)

バゲルハットには世界遺産に登録されている15世紀のモスジッド群があると言う。僕の駐在時代のバングラデシュは食べるのもままならない時代だったから、世界遺産に指定されるような遺跡があるなどと言う話は一度も聞いたことがない。今回のバングラデシュ訪…

 バングラデシュへセンチメンタル・ジャーニー(IV)

今朝ダッカへ無事に戻って来たので、改めて昨日の事を記そう。 昨日はホテルに荷物を置いたまま、軽装で早朝に空港へ向かった。空港に行く途中でこんなリキシャに出会った。昔はなかったリキシャなので、迷わず写真を撮った。聞けば学生専用のリキシャなのだ…

 バングラデシュへセンチメンタル・ジャーニー(III)

今日は早朝にダッカを発って、飛行機でジェソールまで飛び、そこから車で約2時間の処にあるクルナと言う町に来た。目的はクルナ近郊のバゲルハットと言う村に残る世界遺産を見る事であった。取り敢えずクルナのホテルにチェックインしたのだが、使い放題とい…

 バングラデシュへセンチメンタル・ジャーニー(II)

今日は少し遅めの朝食を摂り、早速ホテルの周りを散歩に出た。懐かしい独特の臭いがツンと鼻を突く。主に生ゴミの饐えた臭いである。ホテルを出て10歩と歩かないうちに片腕のない乞食に寄って来られた。ここの乞食はしつこい。インドの乞食のように体に触っ…

 バングラデシュへセンチメンタル・ジャーニー

実は今日から早々と夏休みを取り、バングラデシュにやって来た。本ブログのアーカイブスからジャンルでバングラデシュを選ぶと、昔のバングラデシュの想い出を書いたブログが出てくるように、僕は1974年から3年半バングラデシュに駐在していた。その後も何度…

 懐かしいバングラデシュ

今日はバングラデシュが2021年までに30ヶ所の経済特区を整備して外資誘致を諮ると言う記事が日経の夕刊一面トップに踊っていた。バングラデシュの記事は別に珍しくはないが、夕刊とは言え一面トップとはと変わった事もあるものである。 僕がダッカに駐在して…

 バングラデシュの想い出(6)

古い、少しホコリの付いた写真の入ったカートンを整理していて、バングラデシュのダニを想い出した。ところが現実は不思議なもので、想い出に浸っていたら昔の仲間が今ダッカに出張していて、今のダッカは僕のブログに出てくるダッカとはもう隔世の感だとメ…

アジアの大道芸

今まで色々な国で大道芸を見て来たが、ヨーロッパのそれは発表する場のない芸人の発表の場的な雰囲気が強かったのに対してアジアのそれは、限られた国でしか見ていないが、正に生活の糧を稼ぐ為の必死の芸であったようだ。日本では余り見掛けないが、偶に見…

 バングラデシュの想い出 〜 (5)

当時のバングラデシュは未だ産業らしい産業もなく、世界銀行やアジア開発銀行の低利融資、先進国の援助で糊口を凌いでいた。産業といえば唯一ジュート生産があった。しかし、当時すでにジュートは徐々にプラスチックに代替される衰退産業であった。日本の米…

 バングラデシュの想い出 〜 (4)

当時のバングラデシュは完全なドライ・カントリーでアルコール類の入手は表向きは不可能であった。表向き不可能な事には常に裏が付き纏う。一戸建てに引っ越して間もなく、リキシャでアルコールを売りに来る男が現れた。彼は万が一警察に路上で捕まりアルコ…

 バングラデシュの想い出 〜 (3)

僕が赴任した頃のバングラデシュの大統領はシェイク=ムジブール・ラーマンという、バングラデシュの建国の父と呼ばれた人だった。アワミ・リーグという政党の創設者で、この政党は今に続いている。この人はインド寄りの人と言われており、更にインドの背後…

 バングラデシュの想い出 〜 (2)

暫くホテル住まいをした後、一戸建ての家を高級住宅街の一角に借りて、移り住んだ。広い芝生の庭があり、白塗りの総二階の大邸宅である。応接間だけで25坪位ある。先ず使用人を雇う。厭でも何でも雇わざるを得ない。金持ちの義務みたいなものである。使用…

 バングラデシュの想い出 〜 (1)

1947年にイスラム教対ヒンドゥー教の対立から、インドからパキスタンが東西に分裂した形で、東西パキスタンとして独立した。しかし、東パキスタンは西パキスタンに比し貧困の度が高く、投資も西からの投資が大部分を占め、経済的に西に牛耳られる結果となっ…

 戒厳令

今日もバングラデシュでの話し。バングラデシュは社会人になって初めて駐在した土地なので、インドネシアと違った意味で色々な想い出がある。思いつくままに未だ暫くバングラ時代の話が続くかも知れない。 1975年の三度目のクーデターの後、ずっと戒厳令が布…

 クーデターの夜

海外で生活していると、色々な場面で日本人としてのアイデンティティを強く感じさせられる。僕はサラリーマン現役時代の半分近くを海外で過ごしているので、一般の日本人よりは多少変わった経験もしており、その分日本人としての自覚も一般の人より強いと思…