baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 早や迷走? それとも予定通りの欺瞞? 新政権

 昨日総理大臣が米軍基地の移転問題で、マニフェストマニフェストとして、時間のファクターによる変更はあり得ると発言した。時間のファクターでコミットが変わり得る、と言うなら時間のファクターのないコミットなどあり得ないから、どんなコミットメントも変わり得るという事になる。政治家だから、実は嘘を付きました、とは言えないだろうが、時間のファクターを理由にするのは、嘘をついていましたと言うのと全く相違はないだろう。さすがに他の連立政権が騒ぎ出し、民主党の内部でも意見が割れているようだ。迷走が得意だったのは前政権だけではないのかも知れない。
 従来の官僚の天下り批判にも欺瞞が隠れている。官僚の天下りを快く思う一般市民はいないだろうから、スローガンとしては大向こう受けする。しかし、他方で官僚にも生活がある。慣例として一定年齢で特定のポストに着けなければ退職する人事制度で、しかも組合もない国家公務員には、その後の生活を皆で考え出来る限り面倒を看る慣例も自然と出来上がるのは自然の成り行きであろう。現役にしても次は我が身なのである。 
 極端な例は自衛隊の制服組である。制服組は、その後改定されていなければ54歳定年だったと思う。今時、54歳で辞めて下さい、後はご自由に、という制度は非現実的としか言いようがない。そのまま放っておけば、優秀な人材が集まる筈もない。つまり、天下りとか、国家公務員の民間企業への組織ぐるみの嵌め込みは、欠陥を抱えた制度を陰で補正する制度だったと言える。物事の表と裏である。
 勿論、過剰に遇され、渡り歩いてその都度法外な退職金を受け取る一部の天下りには、やはりメスを入れて是正すべきである。そもそもこういう人達には並はずれて頭脳優秀で仕事の出来る人が多いから、組織で面倒を看なくても引く手数多の筈である。だから組織として面倒を看る必要は端から無いのである。何事もやり過ぎは良くない。
 与党も国家公務員の人事制度改定なくして天下りの根絶は出来ないと公然と言いだしたようである。しかしその制度改定でどれ程人件費の負担が増えるのであろうか。ある程度年齢の行った人を沢山抱えるのと特殊法人で面倒を看るのとどちらが経済的なのであろうか。要は、天下りは悪、と一括りで片付けるのではなく、組織ぐるみの過剰な面倒見の結果としての天下りと、公務員の制度上の欠陥を補正する天下りとを区別し、前者は勿論廃絶、後者は晩年を勤め上げる人にとっても、税金の効率的な遣い道にとっても、如何なる制度が最も良いのかをしっかりと議論し、またその結果生じる費用のプラスマイナスについても国民に分かり易く公開すべきではなかろうか。
 一方で、国土交通相は相変わらず頑固一徹を押し通しているようである。前原大臣は地方との軋轢が絶えない。改革には旧勢力との軋轢は不可欠であるから軋轢が悪いとは言わないが、唯我独尊の専決も宜しい筈が無い。マニフェストを護るためには、例え費用が余分に掛っても厭わないそうだが、本当に悪と断じ得る事業を止める為に掛る費用と、必ずしも悪とは言い切れない事業をマニフェストに拘るが為に余計に税金を投じて無理やり止める、のとでは大違いである。。総理大臣も徐々に方向転換を図られているようだから、前原大臣もマニフェスト一辺倒はそろそろ考えなおして現実的な、経済原理に則った路線に変更する時期ではなかろうか。
 傑作は亀井金融相が誰が何を言おうと一切聞く耳持たぬで暴走した、借金のモラトリウムという暴論の法令原案を作成した官僚の頭脳の素晴らしさである。亀井大臣も東大のご卒業ならばまさか気がつかない筈はないと思うが、一番懸念されたモラルハザードが起きないようにその部分は上手に骨抜きにされた。それでも、期間中に破綻した債権には政府が税金を遣って金融機関に保証するというのだから、暴論には違いない。来年の参院選の票集めに腐心する大臣の暴走に、大臣の部下たる官僚は面と向かっては、増してや亀井大臣の如き品性なき輩には尚の事、諌められないのでせめて法案で一矢を報いたというところか。
 補正予算の見直しで無駄を省いて3億円を捻出する試みも、ここに来て後5,000億円の不足で苦労しているようである。そもそも無駄を省くのは大賛成だけれど、ここまで努力を重ねても届かない数字というのはもはや無駄の域を超えているのではなかろうか。一方的に無駄と決めつけて削った予算のお陰で、一層費用が掛ってしまったり、未だ底から抜けられない経済回復の足を引っ張って、長い目でさらにコスト高にならないよう、現実的な予算の範囲内で賄えるようにマニフェストも見直すべきではなかろうか。マニフェストと雖も、時間のファクターによって変更が必要になることもあろう。