baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 割礼

 元来割礼はユダヤ教の習慣であるが、今はイスラム教のそれで有名である。元々、イスラム教もキリスト教も根源はユダヤ教に発するのであるから同じ習慣が残っていても不思議ではない。印パキ戦争の時は、インド軍が、敗走するパキスタン兵が民間人の姿でインド人に紛れ込んで逃げるのを発見するのに割礼の有無を調べ、割礼している男は捕縛して尋問したと聞く。勿論インドにもイスラム教徒はいるので、随分乱暴な話ではある。
 インドネシアでは女子も割礼する。これがイスラムの習慣なのかインドネシア固有の習慣なのかは僕は知らないが、女子の場合は生まれて10日位で割礼するそうだ。以前は陰核を取ってしまったらしいが、今は形式的にメスを入れるだけで、特段何かを切除する事はないと聞く。陰核を取ってしまうというのは、女性を男に隷属させる物として扱う考え方に則っているので、どうも男女を平等に扱うイスラム本来の教えにはそぐわない様な気がする。一方、男子は第二次性徴の始まる前に、10歳前後の時に行う。この年齢に実は意味があるのだが、ここでは触れまい。昔の日本人の元服と一緒で、男子がそこまで無事に成長した事を一族郎党、隣組総出でお祝いする。西欧化の進むジャカルタでは、割礼する男の子のいる家の前に飾りをして、人が集まって飲み食いする程度であるが、地方に行くとまだまだ古い仕来たりが残っている。
 言ってみれば稚児さん行列である。着飾った当の男の子を台に乗せ四隅を成人男子が担ぐ。お披露目である。そして前後を地元の人や家族、遊び友達の小さい子供達が行列を作って、鳴り物入りで近隣を練り歩く。行列には女性は加わらない。ただどういう訳か、男の子の隣にやはり民族衣装で着飾った女の子が並んで座っているのを見た事がある。既に許嫁がいるのか、或いは単なる習慣なのかは分からない。男の子は晴れがましく、胸を張って座っている。これから起こる事を知っているのか知らされていないのか、大人になる事を単純に喜んでいる風である。
 ひとしきり触れ歩くと自宅に戻り、割礼となる。これにも色々地方によりやり方は異なるのであろうが、僕が知っているジャワ式−ジャワの一般的な方式ということではなく、僕がたまたまジャワで見たやり方−では立ち会いは親族だけである。他の、お祝いに集まった人達には食べ物が提供される。執刀は地元のイスラムの宗教家で、呪いの出来る人である。なぜなら、麻酔は使わずに呪いで痛みを感じさせずに切除するからである。目撃はしていないが、恐らく催眠術的なものであろう。だから子供は痛がって泣いたりはしない。割礼が終わると、男の子はそのまま別室で寝かされる。直に痛みが襲ってくるから、大人しくさせられている。しかし、この時ばかりは痛くなってもじっと我慢して泣かないものらしい。大人としての最初の自覚なのであろう。
 家族は客のところに戻ってくると、賑やかなお祝いの宴に混じる。お酒が一切出ないので、僕には苦痛であるが皆饒舌である。今でこそ大分歩留まりも上がったが、少し前までは無事に10歳くらいまで育つ子は50%くらいだったのではなかろうか。だから本当に目出たいのである。みな、心から嬉しそうにしている。裕福な家では、ガムランの楽団を呼び、一晩中影絵(ワヤン)を掛け、村中総出で朝まで騒ぐ事もある。
 今でもスマトラの或る地域の山の中に多産で有名な部族がある。大体夫婦平均で12〜13人子供を産むと言う。と言うのは、この部族は気性が激しく、男の子は子供の時から喧嘩で普通にナイフを使う。だから、この位沢山子供を作っておかないと病気と喧嘩でどんどん淘汰されてしまい、立派に成人出来るのは3〜4人しかいないそうだ。最も女の子は未だ間引きもするらしい。現在の話である。スハルト大統領時代に家族計画が徹底され、どんな田舎へ行ってもKBI(家族計画)という標語がみられ、避妊具も無料で配布されているのだが、こういう部族はそんな悠長な事をしていたら子供がいなくなってしまうのである。
 話がそれたが、日本では既に子供の成長は当たり前なので、逆に節目節目の子供の成長もさしたる感慨もなく過ぎて行くようになってしまった。が、本来は子供がある年齢に達するまで無事に成長する、という事は親にとっても周囲の人々にとっても大変な慶事だったのであろう。インドネシアで割礼のお祭り騒ぎを見て思った事である。