baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

アジアの大道芸

 今まで色々な国で大道芸を見て来たが、ヨーロッパのそれは発表する場のない芸人の発表の場的な雰囲気が強かったのに対してアジアのそれは、限られた国でしか見ていないが、正に生活の糧を稼ぐ為の必死の芸であったようだ。日本では余り見掛けないが、偶に見掛ける日本の大道芸もヨーロッパ的な雰囲気が強いように感じる。
 バングラデシュには蛇使いがいた。麻の袋に数匹のコブラを入れて家庭を訪問して歩く。どこかに奇特な人がいて、見せて欲しいと注文するとやおら袋から蛇を取り出して、葦の縦笛を吹き始める。蛇は鎌首を持ち上げて、笛の音に合わせて首を左右に振りながら淡々と蛇使いを襲おうと狙いをつけている。突然ぱっと蛇が襲い掛る。間一髪で蛇使いはコブラの毒牙をかわすと、何事もなかったかのように笛を吹き続ける。何度か一匹のコブラの襲撃をかわすと、袋から別のコブラを出して来て、同じ芸を見せる。まるでコブラは笛の音に酔ってしまい、獲物までの目測を誤っているように見える。普通蛇使いは3匹から5匹のコブラを持ち歩いていた。
 しかし、当たり前だが実は種がある。何度か見るうちに気がついたのだが、蛇は笛の音に合わせて鎌首を左右に振っているように見えるが、実は蛇使いのしゃがんだ膝を見ていたのである。蛇使いは巧みに、観客に分からないように、笛に合わせて体を動かすときにどちらかの膝を左右に振っているのである。そしてコブラは襲い掛かる時にはジャンプしない。鎌首の距離の範囲内の獲物にしか食い付けない。即ち60cmかそこらの距離まで獲物との距離を詰めないと獲物に食いつけない。蛇使いはこの距離を巧みに見切っていたのである。しかし僕らにはコブラをま近に見るのも珍しいし、コブラのダンスは種が分かってからでも面白い。攻撃の時の眼にも止まらぬ素早い動きは迫力満点だし、またそれを見切る蛇使いにも、何度見ても冷や冷やさせられる。ただ、そこにはユーモアは全く感じられない。
 インドネシアでは、何種類か見た。ガラスを食べる芸。これは本当に普通の板ガラスをムシャムシャ食べるだけの芸であるが、迫力はある。口を切って血を出したりもする。口からの血がショーなのか本当なのかは知る由もない。ガラスを食べる芸はあちこちにあるので珍しいものではないが、ガラス食いはトリックでも何でもないので、内臓にガラスが刺さって緊急手術が必要になったりすることもあるらしい。
 また、火を噴く芸もあった。これはガソリンかなにか、発火性の高い液体を予め口に含んでおいて、何らかの火源に向かって霧を吹いて火を付けるのであろう。昔の畳屋さんがヤカンから直に水を含んでは霧を吹いていた、あの要領である。これなら、火が口の中に引火しなければ、僕にも出来そうである。背中の下に砕いたガラスを敷き詰めて、トラックにお腹を轢かせる芸もあった。
 そんな風に色々ある中で、一番インドネシアで印象に残ったのは生きたニワトリを丸食いする芸である。これは芸と言うよりは、正に生活の掛ったゲテモノ食いである。出て来たのは太鼓腹の、片手に生きたニワトリをぶら下げた、20代後半と思しきスマトラ産の大男。ひとしきり口上を述べると、いきなりニワトリの首にかぶり付いた。ニワトリは断末魔の悲鳴をあげるが構わず食らい付いている。数分もそんなにしていると、さしものニワトリも余り動かなくなる。男はそのニワトリを観客に一回りみせると、大雑把に羽根をむしり取りやおら腹を食べ始める。一気食いで口からニワトリを離さない。暫く腹を食べるとニワトリはほっそりしてしまうのだが、今度はそれを頭から飲み込み始めた。時々手で口から羽根を取り出すが、あまり咀嚼する風もなく少しづつ飲み込んで行く。大蛇がニワトリか豚を飲み込む風情である。不思議なことに、大きなニワトリはどんどん口の中に押し込まれてゆく。10分くらいもやっていたろうか、ついにニワトリは完全に口のなかに消え去り、男のお腹は明らかにニワトリ一羽分膨れていた。正真正銘、頭のてっぺんから足の先まで、羽根以外は全て男の腹に収まったものだ。男は血だらけの口をぬぐおうともせずに、ニタッと笑った。何だか凄惨だった。
 やはりアジアは貧富の差が激しい分、生活困窮者の生業が立ち難いのであろう。欧州や日本の大道芸が腹を抱えて笑えるとか、その芸の素晴らしさに純粋に拍手出来るのに対して、アジアでは何か澱が溜まるのであった。