baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 言葉〜コミュニケーションツール

 言葉というのは意志疎通の媒体としては非常に明確な道具と思えるが、実はある言葉の持つ意味に対する受け取り方は人により微妙に異なっていると思った方が無難である。受け取る人の生い立ちや性格、過去の経験などにより微妙に受け取るニュアンスが変わり得る。だから、お互いに明確な媒体だと思っている分、誤解を招き易い。特に反応が直ぐに分からない書き言葉は、一旦誤解を生じると根が深くなり易い。絵や音楽のような媒体は、初めから各人各様の受け取り方をするという前提があるので誤解を招く危険はないが、言葉は皆が共通な媒体だと思っているだけに危険である。
 例えば外国人と話す時に、日本語で言いたい事を伝えるのは意外に難しい。相手が外国人なので日本語は日本人ほど上手ではない、という事は重々理解しているのだが、相手の日本語が上手であればある程、ついつい日本人相手のように回りくどい表現をしてしまったりする。またその裏にある相手の発想や理解は日本人とは全く異なる、という事を得てして忘れてしまうのである。
 1980年頃の事であるがこんなことがあった。中国で納入した機械にクレームが付いた。その頃は中国に機械を納入すればほぼ必ずクレームが付いたので、別に珍しい話ではなく納入後の値引き要求のような話なのだが、対応を間違えると大変な問題になってしまうので迅速に片付ける必要があった。交渉は中国側が用意した日本語の通訳を介して行った。通訳の日本語は中々上手である。工場側の言うクレームを、怒った口調で上手に通訳する。というか、その頃の日本語の通訳は、相手が日本人の場合には通訳すべき内容以上に恫喝するのであった。相手が怒った口調になるので、こちらはついついそれ以上熱くさせまいと丁寧な、回りくどい口調となる。すると相手は益々言い募って来て、何時まで経っても話は平行線になってしまった。
 毎日の交渉が一週間にもなった頃、僕は工場側の人に、日本語を介して話をするのは不公平だ、日本語は自分の母国語なのでどうしても僕に有利になると思う、ここはお互いに第三国語の英語の通訳で話をしようではないか、と提案した。先方も一週間にも及ぶ平行線に困っていたのであろう、すぐに英語の通訳を用意してくれ、交渉は再開された。元々英語は白黒のはっきりした、あまり回りくどい言い回しが出来ない言葉である。しかも僕の英語は言いたい事を伝えるのが精一杯である。ところが、これが却って良かったようで一週間掛った交渉が、通訳が変わったら僅か一日で片付いてしまった。
 英語の通訳が公平であったことも大きかった。後から分かったのだが、当時は日本人は恫喝すれば腰砕けになるが、白人は恫喝しても効き目がないと中国側が良く計算しており、通訳にもそういう教育をしていたのである。どうして分かったかと言うと、日本語の通訳が或る日参考書を置き忘れていったので中を読んだら、想定問答集に半端ではない恫喝の言葉が並んでいたのである。例えば「我々はこの問題を中央政府に報告しなければならない。そうなると貴男の会社はもう中国では仕事が出来なくなる。」等々。何れにしても、時として第三国語を使う方が、特に日本語に特有な余計な気配りが出来ない分、率直なコミュニケーションが出来る事もあるという例である。
 ただ、日本人には英語は不向きである。表現がストレートで否応が明確な言葉だからである。中国人やベトナム人は、顔は日本人に似ているが、実は発想は英語的であると思う。言いたい事は非常にはっきりと主張し、日本人のような遠慮はない。逆にインドネシア人は英語は上手で、ビジネスや政治に携わる人は余程の年配者でない限り、まず間違いなく英語は上手に喋るのだが、実はインドネシア人も日本人同様、物事をストレートに、黒白をはっきり表現するのが不得意である。だからインドネシア人の本音を聞き出そうと思うと、英語で話していてはだめな事が多い。中年より上の人は特にその傾向が強い。インドネシア語で話していれば結構胸の内を開いてくれるのだが、英語で話していると訳が分からない事が多い。インドネシア人は非常にシャイなのである。従って、本当に胸襟を開いた仲になろうと思えばインドネシア語でのコミュニケーションが不可欠であった。
 ただ、僕の場合は外国語で話した事の記憶が曖昧になる傾向がある。特に英語の場合が酷い。というのは、記憶を辿る時は日本語で思考している。ところが英語やインドネシア語で会話をしている内容は、その言葉で記憶されている。そして、日本語の思考の時にはその言葉がなかなか出て来ないのである。思考言語を切り替えるとやっと思い出せる時がある。自分でも定かではないのだが恐らく、インドネシアには長く住み、日常もインドネシア語を使っていたので比較的自然にこの切り替えが出来るのに対して、英語は本当の意味での英語圏に住んだ事がないので、そこまで上手ではないのであろう。
 何れにしても、言葉と言う物はあくまでも道具であって、使い方が非常に大事である。使い方を間違えると、凶器とは言わないまでも、思いもよらぬ結果を招いてしまう事がある。通訳に頼る場合は更にこの危険が増す。言葉にすれば当たり前の事だが、長い外国との仕事を通じて肌で学んだ事である。また、昨今の日本語の乱れにも心が痛む。特に、敬語が本当に乱れている。DMなどでも言葉遣いがメチャクチャである。僕が知っている敬語のある国は、日本とインドネシアだけであるが、日本語は敬語を知らない若者が本当に増えた。いや、若者に限らず、日本人が日本語に鈍感になって来ていると思う。僕は、美しい日本語を守りたいと切望するのである。