baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 バングラデシュの想い出(6)

 古い、少しホコリの付いた写真の入ったカートンを整理していて、バングラデシュのダニを想い出した。ところが現実は不思議なもので、想い出に浸っていたら昔の仲間が今ダッカに出張していて、今のダッカは僕のブログに出てくるダッカとはもう隔世の感だとメールをくれた。30年以上も前の話だから、いかなダッカでもやはり大きく変化しているようだ。結構な事である。
 バングラデシュのダニは強烈である。昔は仕事先の公団の椅子はどれも木枠に穴を開けて籐を通して、背中や座面は籐を編んで出来ていた。この、籐を通す穴に、強烈なダニが潜んでいる。人間の体温を感じると這い出して来て、ズボンの上から血を吸う。このダニにやられると、物凄く、気が狂いそうに痒くなる。
 ある時納入した商品にクレームが付いて、公団の次席総裁に呼び出された。日頃は温厚な日本贔屓の良い人なのだが、流石にクレームとなると語調が厳しい。畏まって先方の言い分を聴き始めたら、腿の裏が痒くなってきた。10分もしたら我慢出来ない程痒くなってきた。しかし話題はクレームである。取り敢えずは畏まって先方の言い分を聴くのが、クレーム解決のイロハである。必死に我慢した。クレームは延々と続き、結局50分に及んだ。こちらはその間ダニに食われ放題である。クレームは取り敢えずは一旦持ち帰るのが原則だから、その日はそれで引き下がった。ところが数時間もするうちに、腿がパンパンに腫れあがり熱が出始めた。その日の夜は、痒さに七転八倒、手の施しようもなく一晩中転げ回ったものである。その後、喰われた痕が2〜3年、黒っぽく変色してしまった。腿の裏側一面である。後刻日本に一時帰国した時に、風呂上りにその痕を見付けた妻が「大変なのね」と一言労ってくれた。
 イスラム教には犠牲祭がある。回教正月の数カ月後に、金持ちは牛を、牛が買えない家庭は山羊を屠り、どちらも買えない家庭は他人の家の手伝いをして後から肉を分けて貰う。或る日、家が裕福な会社のスタッフが牛を屠ふるので見に来てはどうかと誘ってくれた。家は近所だし、好奇心は旺盛なのですぐに招待を受ける事にした。汚れるから靴は履いて来ない方が良いと言われ、当日はサンダルを履いて行った。彼の家に付くと立派な牛が既に足を三本結えられ横倒しに転がされていた。どういう訳か足が一本だけ自由になっている。ほどなく回教の宗教家が血だらけの蛮刀を持って回って来た。彼はあちらこちらの家を順番に回っているのである。入って来るなりすぐにお祈りが始まった。みな、彼に従って、立ったままお祈りをする。時々「アミン」と唱和する。キリスト教の「アーメン」である。一頻りお祈りが終わると、牛が突然悲鳴を上げ暴れ出した。足が三本も縛られているのに、押さえている人間を撥ね退けて、立ち上がろうと物凄い力で暴れ出す。理由は分からないが、それまで大人しかった牛が本能的に末期を悟り暴れ出す。
 介添え役が数人がかりで牛を押さえ付け、中の一人が顎を思い切り引っ張って喉を延ばす。そこに宗教家は蛮刀を当てて、3回半で首をほぼ切断するのだが、全部は切らずに一皮繋げておく。心臓の鼓動に合わせて物凄い勢いで頸動脈から血が噴出する。ジャァと3m位も飛ぶだろうか。だが、それも初めの一度だけで、二度目は2m、三度目は1mと大人しくなり、後はドクドクと流れ出すだけである。しかし、首が切断されているのに眼や口は動き、露出している気管はぜいぜいと息をしている。体は痙攣する。僕は吐き気を覚え、軽い脳貧血を起こしたが我慢して立っていた。ところが、彼の地の人は幼い子供まで眼を輝かせてじっと観ているのである。その後お茶に誘われたが、気分が悪く鄭重にお断りして帰宅した。家に戻ったら足の裏に牛の血が付いていた。気付かなかったのだが、僕の立っていた所にまで牛の血が流れて来ていたのであろう。その日は中々気分が晴れなかった。夕刻、その家から数キロの、一番上等な部分の肉が届けられてきた。さっきの牛の肉である。思い出しただけで食欲がなくなるので、直ぐに冷蔵庫に保管させた。使用人が言うには、その日に食べても硬くて美味しくないから、3日ぐらい待った方が良いそうで、調度良かった。牛はどうなったかと言うと、その場で直ぐに解体されて、皮は天日干しされ、内臓は切り分けられ、胃や腸は切り裂かれて内容物を掻き出されていた。内臓の処理などは、解体を手伝ってお裾分けに預かる人達の仕事である。写真を撮ったのだが、フィルムがもうダメになっていてここには掲載できなくなっている。
 バングラデシュには蒙古が来襲しており、ビルマとの国境近くに当時は未だモンゴル系の部落があった。ビルマ人ではなく、蒙古の駐屯兵の末裔だそうで、混血していない。ただ服装、習慣は見た限りでは完全にバングラデシュに同化しているので、単なる少数民族という感じであった。バングラデシュの人はこの蒙古の末裔を見下していたようである。蒙古の来襲は恐らく15世紀位の事であろうから、600年もの歴史を背負った少数民族という事になる。チッタゴンに陸路で行く時に時々見掛けた。