baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 インドネシアのオーケストラ

 実は一昨日からインドネシアに来ている。連休中に日本にいても何処へ行くのも大渋滞で出掛けるのは馬鹿々々しいし、ずっと家にいても退屈である。折から連休中に親友の指揮者の演奏会がジャカルタであるので、仕事を兼ねてジャカルタに来てしまった。今年の3月にジャカルタに出張した時にも偶々彼の来訪と重なったのだが、その時は演奏会の前日に僕が仕事の都合で一足先に帰ってしまったので、その罪滅ぼしの意味もあった。
 彼が音楽監督をやっているインドネシア唯一のクラシック・オーケストラであるヌサンタラ交響楽団を聴くのは丁度一年振り、昨年の5月にハイドンのオラトリオを聴いて以来である。3月に練習を聴いたときに、昨年に比べてまた相当進歩していると感じたのに加え、友人の練習中の要求が相当ハイレベルになって来ていたので是非本番を聴きたいという思いもあった。
 今日の演奏はそんな期待に違わず素晴らしいものであった。勿論オケの実力はまだまだ先進国でプロとして通用するものではないが、それでも一年前にはオーケストラと言うよりは混沌とした合奏と言った方がむしろ適切だったのが、今日はしっかりオーケストレーションが出来ていて、文字通りプロの交響楽団の演奏になっていた。曲目はチャイコフスキーの「エフゲニー・オネギン」よりポロネーズに続きシューベルト交響曲第3番、休憩を挟んでドヴォルザーク交響曲第8番と、ポピュラーながらもそれなりに難しいプログラムである。音程がかなりしっかりしてきて、その為にダイナミックスにもメリハリが出てきた。以前は音程が悪くて中々一つのパートがユニゾンにならないので、自ずとダイナミックスにも限界があったのだが、今日はメリハリのついた楽しい演奏会になった。オーケストラ全体の音も以前より良くなっている。楽器が悪いので限界はあるのだが、それでもオケとして音が良くなることがあるとは驚きであった。そして、シューベルトの時はしっかりシューベルトの香りを放ち、ドヴォルザークの時はドヴォルザークの音を出していた。今日はヌサンタラの演奏会で初めて、オーケストラを聴いた気がした。
 友人の指揮もこの一年で大分変化している。以前は細かい処まで一々指示を出していたのが、今日は随分遊びのある指揮になっていた。勿論それでも未だ、日本のオケを指揮する時に比べれば息を抜く間もないぐらい神経を張り詰めているのが良く分かる。とにかく当地のオケは実力不足、練習不足なので、彼は普通の仕事の倍は練習に時間を当てている。普通のオケなら本番前の練習は2日か3日のところを、このオケでは5日か6日もサーヴィスで練習に付き合っている。それ位絞らないと音楽にならず、彼も恥ずかしいようだ。しかし、それだけ練習しても尚且つ、本番で何が起こるか分からないので随分と気を遣っている。
 インドネシアクラシック音楽家は未だ食べるのが大変である。楽器をやるからと言って、必ずしも裕福な家庭の出とは限らない。日々の生活があるので中々演奏会に備えた練習が出来ない。まともなトレイナーもいない。そして普段の物価が未だ安い分、良い楽器の値段は彼等にしてみれば非常に高価となる。だからプロのオケだと言うのに、日本ならアマチュアも使わないような粗末な楽器を使っている演奏家も多い。当然その音色は決して良くないし、弦楽器では音量も乏しく高音が苦しい。管楽器なら音色に限界があるし音程がどうしても甘くなる。でもやはり音楽を一人々々が心から愛していて、楽しみながら精一杯演奏しているのがよく分かる。上手なオーケストラよりも純真に音楽に向き合って一生懸命友人の棒について来ようとしている分、聴衆に伝わる感動が大きいという事も言える。
 本来円卓会議場として設計された、音響効果には全く気を遣われていない会場での今日の演奏は、そういう諸々のハンディキャップを吹き飛ばす感動的な、良い演奏であった。友人の半ばボランティア的な献身もしっかり実を結んでいると思った。終演後、来聴されていた日本大使からも、オケが「見違えるように上手になって、誇りに思います」との賛辞を受けていた。


       (ドヴォルザークが終わり、満場の喝采を浴びて)