baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 総理大臣の間接選挙と衆参二院制は改正が必要

 新聞が、テレビが、連日普天間問題で喧しいので、どうしてもまたそっちへ気が向いてしまう。終日シトシトと雨が降るのも気分的に宜しくない。普天間の問題を考えだすと腹が立って仕方がないのである。とにかく酷い事になってしまっているが、何はともあれ一刻も早くこの問題を本当の意味で決着させないと日本の安全保障も危うければ、日本の国際社会での存在感も希薄になる。
 今頃になって閣僚はこぞって5月末決着の定義を解釈しだした。まるで他人事の如き発言で、当事者意識の欠片もない。何れも5月末決着はあり得ないとの前提で、先延ばしの屁理屈をこねている。そんな中で鳩山由紀夫一人は相変わらず「5月末に決着を付けるつもりでやっている」と強がっているが、その決着と言うのが先週も本ブログで書いたように「みんなでこれでやって行こうという方向を出す」のだと言っているのだから始末が悪い。そして、肝心の外務、防衛、沖縄担当の各大臣、官房長官も皆お手上げの風で当事者意識が全く感じられない。副総理と雖もまるで他人事である。皆、もう本件には触りたくないと露骨に態度で表わしている。最も影響力のある小沢上皇ですら、幾ら自身の政治とカネの問題があるからとは言え、一言の発言もない。
 こうなってしまった元凶は総理の優柔不断、不勉強と見通しの甘さにあるのは分かるが、それにしても鳩山由紀夫という人は今まで一体何をしていたのだろうか。僕は当初から「国内向けの人気取り」で「対外的に通る話ではない」(9月22日)、「相手があるのに何の根拠もなく勝手な政策をぶち上げ」(9月3日)ているが結局は「落とし所は沖縄県内である事は見えてきた」(10月19日)と言っていた。実際岡田外相や北澤防衛相も昨年末にはそういう発言をし且つその方向で纏めようとしていたように見えた。しかしその時は鳩山総理を説得出来なかったのである。
 僕の見立てから既に7ヶ月、その鳩山由紀夫は何時までたっても方針を固めず、政府案がはっきりしたのは決着を付ける期限である5月の連休になってからであった。その政府案も然して目新しい物ではなく、殆どが原案復帰に過ぎなかったにも拘わらずである。そして初めて沖縄県入りしたのは何と5月4日になってからである。これ程県民にとって重大な話が3週間かそこらで纏まる筈がない。口では「沖縄県民の思い」とか「沖縄県民の負担の軽減」とか綺麗事を並べているが、真剣に何とかしようと言う人間のやっている事とは思えない。厭な事は後回し、始業式が翌日に迫っているのに好きな昆虫採集と工作以外は未だ殆ど手のついていない、僕の子供の頃の夏休みの宿題みたいな話である。5月末から逆算して、真剣に決着を付ける為のスケジュールを組んだとも到底思えず、5月末と言うのも単なる思い付きでしかなかったようである。
 こういう時に国民が何も出来ないのが腹立たしい。地方自治体の首長であれば直接選挙で選んでいるのでリコールするという方法が残されている。しかし総理大臣となると、国会で民主党が多数を握っている限りは手も足も出ない。衆参の議院数が逆転する捻じれ国会も、当時は野党の民主党参議院を握ってしまったので何でも彼でもとにかく反対で、一向に法案審議が進まず屡国政に空白が出来てしまった。僕はその時、現在の二院制は改正しなければならないと真剣に考えるに到った。同様、今のように総理大臣に全く宰相としての資質が無い事が判明し、且つこのまま国政を委ねておけば日本が取り返しのつかない処まで転げ落ちてしまう事が明確になったのに、衆参共に民主党政権が多数を占めているので何も出来ないと言うのは余りにも危険だと思う。
 肝心の民主党の自浄能力も、小沢派と反小沢派との睨み合いで、とても自浄どころの騒ぎではない。お互いに党内での地歩を有利にする為にどうするのが良いかで頭が一杯のようである。しかも、主要な人物が閣内に入ってしまっているので、自浄イコール自己批判に繋がるからかどうか、とにかく皆他人事のように現政権の擁護発言ばかりで、さっぱり国政を憂える風がない。内閣の一員としての当事者意識も無い。そう開き直られると、何も手が無い事に気付く。野党が幾ら内閣不信任案を提出しても数で潰される。例え参院選でまた捻じれが出現しても、内閣改造の必然は無い。民主党の代表選挙は9月にあるから総理大臣の交代はあるかも知れないが、民主党政権を止めさせる手段はない。このままバラ捲きばかりで定見の無い現政権が続けば、世論が極右化するかも知れないという事も僕には懸念される。
 こう考えて来ると、集団的自衛権の問題と併せ、国会の二院制、世論による総理大臣の罷免か国会の解散、についても国民的議論が必要になっていると思うこの頃である。