baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 横須賀、鎌倉へ

 今日は朝から伊豆半島へでもと思っていたのだが、結局ダラダラと怠けて家を出たのは2時過ぎになってしまった。そんなだから特に何処へ行くとも決めていなかったのだが、何となく第三京浜へ向かった。第三京浜と横浜新道は高速料金が格別安いので、何となくの時は自然とそちらへ前輪が向いてしまう事が多い。
 2時を過ぎれば環八も内回りは大分空いていて、第三京浜までは20分程で着いてしまった。第三京浜は覆面さえいなければ何時も快適な道である。但し僕は11月15日までは絶対に捕まえられては困るので、至極普通に走っている。そのまま横浜新道に入って、ふと思いついたのは、このまま1号線に出ても別に行くアテもない、それなら未だ行った事のない横須賀へ行ってみようかと言う事である。行った事がないというと少し正確を欠く。未だバイクでフラッと行った事がないという意味である。そして早速横浜横須賀道路に進路変更した。
 横須賀ICで下りて見ると横須賀市街という標識があるのでそちらへ向かったところ、自然にまた自動車専用道路へ入ってしまった。なんだか騙された気分だがUターン出来ないようにセンターラインが全てブロックされているので止むを得ずそのまま再び高速道路へ。出口近くで左手に大きな自衛艦がニ隻並んで係留されているのが見えた。艦首に日の丸を掲揚している。何だか急に横須賀に来た実感が出て来た。
 高速を下りたが右も左も分からない。何となくそのまま道なりに海の方に向かったら、行き止まりに入ってしまった。僕の腕では直ぐにUターンも出来ないので、取り敢えずバイクを下りてみた。直ぐ右前方に後ろ向きに軍艦が止まっている。艦尾の艦名を見たら「さかみ」と書いてある。相模の濁りが消えてしまったのかと思いながら更に見ると、後甲板には大きな二連装の大砲が据えてある。船側からはガレー船さながらに、これまた大砲が後ろから見ただけでも5〜6門も突き出ている。何だこれは、と思ってもう一度良く見て気が付いた。戦艦「三笠」の艦名が右書きで書かれていたのだ。口径18サンチ程度であろうか、それ程大きい訳でもない艦砲なのだが遠くから見ても大層な迫力がある。舷側砲は時代物がかった光景で、舷側から直接突き出ているのである。これが東郷元帥が乗った連合艦隊の旗艦であったのだ。バルチック艦隊の敵前を横断して雨霰と砲撃した、日本海々戦の雄であったのだ。明治の船にしては大型で中々ハイカラである。今日はカメラを持って出なかったのが悔やまれた。
 横須賀からは勝手知ったる葉山、逗子方面へ向かった。地図も持っていなかったのでいい加減に走ったお陰で、二度程道に迷ったが大過なく逗子に出た。そこから134号線へ入った途端に大渋滞に飛び込んだ事に気付いた。何とか左側を擦り抜けながら、滑川へ。滑川の手前では海に神輿を担ぎ出すお祭りをやっていて、結構な人出である。再びカメラを持っていなかった事が悔やまれた。滑川交差点から江の島方面へも車で一杯だったので、本当は大船経由で戻ろうと思っていたのだが計画を変更して鎌倉へ右折して、取り敢えず一休みした。バイクをいい加減に駐めて、先ずはともあれ浜辺へ。夕方の浜にはテーブルを持ちだして団欒している人達もいたが、それ程人も出ていない。ウィンドサーフィンをやっている人達が多く、結構強い風なので上手な人は相当なスピードで滑走していた。トンビが頭上直ぐ近くで空中ホーバリングをしている。目玉が見える程近い。どうやら人間の捨てる残飯を狙っているようである。そして、浜辺と言う浜辺のそこら中で海の家の建築ラッシュであった。
 一しきり潮の薫に浸り元気を付けたので、今度は渋滞を避けて小坪に向かう事にした。ところがこれも大間違い、お祭りの影響で全然進まない道に入ってしまった。やっと渋滞道路を抜けて小坪へ向かう。この道はメインではない裏道なので良く走る。小坪から鎌倉霊園へと向かうと、霊園の麓から又々大渋滞。今度の渋滞は23号線まで続いているので半端ではない。大きく育ってしまった下草が足に絡まって時として転倒しそうになりながら、何とか擦り抜けて23号線にまで出て来た。23号線では朝比奈ICに向かって右折してそのまま帰るのが常道であるが、今日はそれまでの渋滞でいい加減ストレスが溜まっていたので原宿方向に左折した。一見流れていたのである。ところが横浜霊園を過ぎた辺りで直ぐにまた大渋滞になってしまった。止むを得ずUターンして、悔しかったけれど朝比奈から往きと同じ経路で帰ることにした。
 結局家に着いたのは7時。返りの環八外回りは酷く混んでいた。5時間も掛けて192kmしか走れなかった。やはりこれから当分は湘南方面は鬼門のようである。そう言えば昨年もこの時期に海を見に行って同じ事を思ったものだ。まるで学習効果が無い事を反省しよう。