baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 イージス艦衝突海難事故

 千葉県野島崎沖で2年半前に起きた、自衛隊イージス艦と勝浦を母港とする漁船の衝突事故で、イージス艦の見張りの刑事責任を問う裁判が昨日から横浜地裁で始まった。この事故で漁船に乗り組んでいた船長と息子の二名が亡くなった。二名もの人命が失われているので無責任な論評は差し控えるが、海での交通についての印象を少し書いて見たい。
 自分で操船して海に出ると、陸上交通で道になれているので先ず戸惑うのが道が無い事である。広い海原の何処を、どちらを向いて走っても構わない。信号の下に付いている地名がないから、自分が何処にいるのかも分からない。標識がないから、何から何まで自己責任であって、陸上交通のように標識で指示された通りに、道路の車線に沿って、前後の車と同じ方向に流れていれば良い訳ではない。
 そして駐停車も極く限られた水域以外では自由なので、東京湾のような交通量が物凄く多い海でも、沖待ちの船舶がそこかしこで投錨して停泊している。しかも遠くからでは、特に靄が掛っていたりすれば、航行しているのか停泊しているのかも定かではない。波があるから、船首にはあたかも航行しているかのような白波が立っている。更に、俄かには信じられないかも知れないが、遠くから見るとどちらを向いて航行しているのかすら定かではない。船舶を目視したら暫く注意して見ていて、初めて動いているのか止まっているのか、動いているのならどちらを向いて航行しているのかが判断出来る。道が無いから全く決まりが無い訳だ。広い海原で見ると船の針路すら近付かないと分からないのである。
 そして、大型船は低速で走っているようでも、実は相当のスピードで航行している。逆に通常の小型船は、眼に見えるほど高速ではない。海では他船のスピードの目安になる構築物がないから、自船と他船との相対速度の判断も非常に難しい。勿論海上交通のルールは色々決まっており、その時その時の船の種類や相対位置で優先される船と譲らなければいけない船は決まっているし、号笛や灯火、掲揚形象物の決まりも色々ある。しかし実際には、自動車の右折と同じで、未だ距離的な余裕があれば避航船が維持船の目前を横断する事も普通である。逆に大型船は簡単には減速出来ないし、小回りも利かないから、大型船と小型船が行き合う場合には例え大型船が避航船であっても、大体は定速で舵を切らずに真っ直ぐ走り、小型船舶に回避を求めるのが通常である。海上保安庁の巡視艇でも僕等に対しては、真っ直ぐ突っ込んでくる。その方が針路が明確で安全だからである。
 他方、実は漁船は時として、相当乱暴である。あちらは生活が掛っているし早く漁場に着きたいので、僕等の船は端から無視して、そこのけそこのけとばかりに直近を波を蹴立てて行く事が珍しくない。基本的には僕等のプレジャーボートは漁船や作業船には劣後するのだが、漁労中でもないのにやはり乱暴の誹りは免れない。
 そんな状況をもろもろ考えると、夜間航行で目視は灯火だけという極めて困難な状況下、例えレーダーがあるとは言え同一海域に多数の漁船が出ていたとすれば、イージス艦の見張りに刑事責任を求めるのは相当無理があると思う。特にイージス艦の様な大型高速艦艇においては、例え多数の漁船の灯火を目視したとしても簡単に転舵するとは思えない。小回りの利く小型船の針路予測は極めて困難であるから、大型船はむしろ針路と速度を固定して、漁船のような身軽な船舶に危機回避を促すのが現実的だと思うのである。特定の船舶との危機回避の為に緊急に転舵なり減速すれば、逆に他の船舶との相対位置が突然危険になったりするであろう。僚船が全く危険に遭遇していない状況をも考え併せると、やはり事故に遭遇した漁船が居眠り等で見張りが疎かになっていた様な気がしてならない。検察には冷静且つ公正な判断が求められるケースであると思う。