baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 ノーベル平和賞

 昨日、日本人が二名ノーベル化学賞を貰う事が決まった。一昨年は物理学賞で、やはり日本人が三名受賞した。物理や化学と言った基礎分野での日本人の活躍が目覚ましい。基礎分野は地味なので、真面目な日本の学究に向いているのかも知れない。日本のように資源が乏しい国では「知識、人」しかないと言う鈴木章北大名誉教授の受賞の言葉には重みがある。実際、日本には水と人間しか資源がないのだから、何れも何時までも高い質を保って欲しいものである。何にしても、快哉である。日本人として鼻が高い。iPS細胞の京大山中伸弥教授にも、きっとそのうちに順番が回って来るのであろう。
 今日はノーベル平和賞の発表があった。受賞者は中国の民主化活動家の劉暁波だと言う。これに対して中国政府は即座に不快感を発表し、またノルウェイとの関係悪化を仄めかす恫喝を試みている。二言目には恫喝するしか能のない中国は、目覚ましい経済発展にも拘わらず相変わらず中身はこの半世紀何も変わっていない様である。自国の体制を批判して、反体制運動で投獄されている人間を他国が表彰すると言うのだから穏やかでないのは分かる。しかし不愉快な事があれば一々恫喝して歩いている様では、世界第二の経済大国としては余りにもお粗末である。そして、中国ではこのニュースが流れるとNHKを初め各国のテレビ番組は一様にブラックアウトしてしまい、劉暁波のニュースが終わるとまた元に戻ると言う事を繰り返しているそうである。中国の検閲の厳しさを目の当たりにする出来事である。
 中国は共産主義を信奉する全体主義国家であるから、元々国民に人権などはある筈がない。基本的には未だに国民は共産主義で洗脳され、情報統制で真実は知らされず、国に操られている。そこには本質的には言論の自由も活動の自由もない。そうは言っても、今では人々は海外旅行も出来るようになったし、テレビやインターネットがあるから、随分と海外の知識は吸収していると思うが、それでもテレビはこうして検閲されているし、インターネットもグーグルが一時衝突したように検閲が厳しい。そんな国で民主化運動をするのは、大層勇気がいるだろうし、我々の判断基準からすれば立派な行動を取っている訳で、ノーベル平和賞にも十分値するのだと思う。話は脱線するが、1999年にやはりノーベル平和賞を受賞したアウン・サン・スーチーに対する僕の評価は全く異なるので、念のため。
 しかし、ノーベル平和賞と言うのはどうも政治臭がして頂けない。昔、佐藤栄作が受賞した事があったが、あの時も多くの日本人はあっけに取られたのではなかったか。昨年はオバマ大統領が受賞したが、これも政治臭芬々で、まるで頂けなかった。マリア・テレサなどは恐らく宗教を離れて万人を納得させる人選であったろうが、それ以外は程度の差はあれ、どうも政治臭がしていけない。そもそも、人により、国により、宗教によって価値観が異なるのだから、平和などという抽象的な対象に賞を設ける事自体に無理があると思う。どういうメカニズムでノーベル平和賞が選考されているのか知らないが、公正な評価が可能な他の賞に比べて、平和賞は基準が曖昧で、お陰で他の賞の権威にまで疵が付くように思えてならない。僕の違和感は中国の抗議とは全く別次元の話なのだが、ノーベル平和賞にはどうも馴染めないのである。つきつめれば、そこに捕鯨反対に通じる白人至上主義を感じてしまうのであろう。