baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 地方の過疎化に思う日本の姿

 地方の過疎化が問題になっている。少子化が問題になっている。でも東京に住んでいると、確かに周囲に高齢者が増えた事や元気な子供が減った殊は否めないが、過疎化には余り実感がない。ところが、バイクでツーリングに出ると、人間どころか犬猫の姿までが見えなくなる。点から点へ、都会から行楽地へ、高速道路で移動している分には気の遠くなるような渋滞ばかりで、過疎化の実態は感じられないであろうが、バイクで下道を走っていると本当に過疎化が進んでいる事を体感するこの頃である。
 休日であれば、県庁所在地と雖も交通量は少ないし、道を歩いている人も極端に少ない。例えば二週間前、高速道路は何処も大渋滞でバイクでも厭になったが、その日の津、三重県の県庁所在地の日曜日の午後、片側三車線の国道に殆ど交通はない。歩道を歩く人も少ない。車の交通量で言えば、東京なら朝の5時位の感じで、どこででもユーターン出来そうな交通量である。信号で止まっても、後ろに殆ど列は出来ない。7月に柏崎を通った時は、日曜の昼前だと言うのに歩道を歩く人の姿は見当たらず、店も少なくて二時間近く薬屋を探したが結局見付けられなかったのだ。
 東京でも、例えば青梅から秩父へ抜ける道では、背中の曲がった高齢者数人以外は誰も見掛けなかった事がある。40分程の行程である。流石に車は多少走っていたが、子供は勿論、若い人も見掛けなかった。週末の休日の事である。増してや山梨、長野、岐阜などの山道となればもう北海道のように殆ど車とも会わない事が珍しくない。富山からの帰り道の岐阜で、暗くなっていたとは言え1時間もの間、すれ違った車が数台で後は人っ子一人、猫の子一匹出会わなかった事もある。
 そして地方の裏山は素人目にも荒れている。下草が刈られていないから草は茫々、木は手入れされていないからヒョロヒョロと密集していて、下枝は枯れてしまって辛うじて上の方だけが緑色をしている。勿体ないと言うのは野次馬の感想で、手入れをする人手が無いのだろう。雪下ろしをしていて屋根から落ちて死亡した気の毒な人のニュースを見れば年齢八十数歳の男性だとか七十八歳の女性だとかである。一方で東京の渋谷や新宿などは携帯片手に傍若無人に闊歩する若者で溢れていて、僕等年寄りは何処を歩いたら良いのかも分からない。深夜の六本木では、何処からこんなに人が湧いて来るのかと思うほどの混雑である。そして東京では庭もない家に住み、高い家賃を払い、電車に乗れば朝晩どころか深夜まで大混雑である。
 このアンバランスを多少なりとも解消すれば随分と日本も住み易くなると思う。例えばドイツでは中小都市に大企業が分散していて、何処の町にも一社ぐらい有名な企業が本社と工場を置いている。その町はその会社で保っているようなものなのであろうが、そのお陰で人口も程良い規模になっていて、町もこじんまりとしている。余程の大都市でない限り、町の端から端まで歩いても数十分の距離である。そして週末や夏の夜長は、街の道路沿いのビアホールやレストランで、混雑とは無縁な環境で、皆がリラックスしている。職住接近だから、勤め人と雖も家族との時間が充分取れる。そして、車で小一時間も走れば文明から離れた自然を満喫出来る。バーベキューをするのに入場券を買い、隣のグループと背中を付き合わせながら騒々しい中で肉を焼く必要はない。寂しい位の広々とした自然を自分たちだけが独占出来る。
 日本は人口が多く、山に囲まれていて平地が狭く、人口密度が極端に高いからこういう生活は夢物語かと思い込んでいた。しかし地方の過疎化を目の当たりにすると、人口が上手く分散し、企業や官庁がバランス良く分散すれば、意外に似たような生活環境が手に入るのかも知れないと思う。勿論今は未だ夢物語に過ぎないが、そういうベクトルを持って街作りをすれば、100年もするうちに多少は環境豊かな欧州の国に近付くのかも知れない。そんな日本は緑豊かで、自然豊かで、お互いに相手を慮りながら助け合う、心豊かな国になっているかも知れない。僕は一極集中で、そこに住んでいれば便利な代わりに心豊かな生活を放棄する今の日本よりも、欧州型の国造りが究極の国造りのように思うのである。