baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 李登輝台湾元総統の手記を読んで

 李登輝台湾元総統は親日派本省人である。以前本ブログにも書いた事があるかも知れないが、台湾では台湾出身の人を本省人、第二次大戦後に蒋介石共々八路軍に追われて逃げて来た大陸出身者を外省人と呼び、未だに区別がある。僕が現役の時には、本省人との商売は綺麗で楽しく本音で商売しても騙される事はなかったが、外省人との商売は、勿論人によるのだが、必ずしも綺麗な商売とは限らないので常に警戒したものである。だから商売を始める前に先ず本省人外省人かを確かめるのが常であった。
 僕が台湾に出入りしていた四半世紀前には、未だ本気で台湾を中共から分離して日本の県になろうという運動が残っていた。台湾は確かに日本の植民地になったが、蒋介石一派が侵入して来た後の方が統治は残虐で台湾人は差別されたのに対し、日本統治時代には被植民地ではありながらも日本の官憲はそれほど汚職はしないし法治統治であったので、国民党が浸食してからの統治よりも植民地時代の方が余程居心地が良かったという人が本省人である。食事の席などで日本軍が中国人の蔑称として使った「チャンコロ」と言う言葉を、外省人に対して本気で使った本省人がいた程本省人外省人を嫌っていた。
 現役当時の僕は知らなかったのだが、1947年には「台湾人大虐殺事件」が蒋介石一派によって起こされている。台湾人が大陸から入って来た官憲の腐敗、暴虐に反抗して非武装デモを行ったのに対し、台湾全土で一方的に台湾人を差別し、無差別銃撃、検挙、粛清を行った事件である。一般には2・28事件と呼ばれる。日本軍の南京大虐殺と同規模の同胞大虐殺が行われていたのである。その流れは、国民党の台湾人差別、それを具体化する白色テロと呼ばれる恐怖統治として、李登輝が総統になる1990年頃まで続いていたのであった。
 李登輝は冒頭に書いたように親日家である。京都大学で高等教育を受け、日本語も日本人と同等、或いは現代の日本人以上に堪能である。そして、戦後の日教組教育や中国、韓国からの執拗な謝罪要求のお陰で自信喪失し、無差別的な米国文化の輸入を通して独自の道徳を忘れて軽薄になってしまい、ついには自己否定して日本の良い伝統までをも放棄してしまったかが如き日本人に対し、日本の伝統を見直し自分達の歴史にもっと自信を持つよう呼びかけている。正に僕が感じている事を、隣国の台湾人に言われている。親日家であるから色々日本に対する批判はあっても、総じて言う事は日本人に大層耳触りが良い。特に今の様に日本と中国がギクシャクしている時に、政治的に偏っていない限りこの人の話を聞いて不快感を感じる人は余りいないと思う。
 彼をして現実主義者であり主義主張にブレがあると言う批判もあるようであるが、僕は彼の主義主張のバックボーンには些かの揺らぎもないと思っている。中国人と言う功利主義、現実主義の権化のような民族の中で政治家として手腕を発揮する為には、機を見て表現を変え、時には現実的に利を取って理を捨てるように見える事があって当然である。しかし僕は李登輝は主旨は一貫しており、素晴らしい政治家であると崇拝している。日本に彼のような政治家が現れれば随分と今の閉塞感も異なった物になったであろうと思うほどである。
 その彼が、西岡武夫の手記が載った月刊誌に手記を載せていた。これが面白い。短い手記なので、読むと言う程のものではないが、読んでいて痛快である。先ず、日本政府の尖閣列島沖事件の対処を批判する。李登輝尖閣諸島は紛れもなく日本の領土であり、中国の主張はすべて根拠のない戯言と片付ける。理論は明快で、僕達には日本政府にこそもっと声を大にして同じ事を言って欲しいと思わせる。一方台湾の領有権主張は少し異なり、歴史的に日本統治時代、即ち台湾県の時代から、台湾漁民が漁業をしていた海域なので俄かに日本の経済水域として締め出されてしまうと漁民の反発がある。だから漁業権問題として、金銭で解決すれば良い。要は日本の海域と認めさせた上で、台湾漁民に漁業権を売れば問題は解決すると言う。それが政治問題になっているのは、単に今は大陸と結託したグループが事を大きくしているだけなのだそうだ。これ程分かり易く、抵抗感の無い話はない。
 そして中国5000年の歴史は皇帝統治の歴史である。皇帝は何をするかと言えば、自身の財産を増やす事に邁進する。周辺の領土を片っ端から拡大して行く。中国はそう言う歴史の国だから、チャンスがあればどんどん領土を拡大しようとする国だと言う。尖閣諸島の問題などは正に、地下資源が確認された1970年になってから自国領土という主張を始めた事からも、この李登輝の分析は正に正鵠を射ていると思う。そして、中国人と言うのは自分が弱い時には黙っているが、相手が弱いと見れば脅かして来る。その脅かしに日本は初めから引っ掛かって曖昧な態度で対応するから駄目なんだと言う。僕が日頃本ブログで言っているように、言うべき事をしっかり言わないと中国と言う国は益々言い募って来る、と言う事と同じ事を言っている。更に李登輝は、中国は口で言うほど実力は無いと断じている。
 ただ、中国を相手に交渉するには正直だけでは相手にならない。清濁を併せのむ、腹のある人間でないと相手にならない、とも言っている。この言葉は、裏を返せば彼自身に対する非難の所以の説明とも取れる。僕は全く同感で、中国人相手に正攻法と正直だけで交渉をしても絶対に纏まらない。中国人の功利主義と現実主義は日本人の想像が中々及ばないレベルのものである。「弁論を用いつつ悪い手段も使い、現実に即した考え方が出来て、当意即妙に、且つ中国人をしてぐうの音も出ないほどに黙らせる」器が必要だと言っている。そんな日本人がいますかね、と李登輝は反語的に問題提起しているが、勿論そういう日本人は沢山いる。今はそういう日本人が活用されていないだけである。李登輝は同じ中国人を、社会秩序も道徳も顧みない、投機的、金儲け一徹の民族と言い、台湾人はそれに比べれば未だ増しであると言う。大陸の中国人と台湾人をこんなに区別しているからこそ、彼は台湾が中国を統治している政府であるなどという建前論は捨てて、しかし台湾は既に独立している国家であると言い、それを国際社会に認めさせる運動のバックボーンとなっている。
 短い手記を読んだだけでも、やはり李登輝には抗い難い魅力がある。国民党という敵の懐に飛び込みながら、実際には台湾の民主化を進め、言論の自由を実現した、世紀の政治家である。日本政府も、例え中国からの強い干渉があっても、李登輝にはもっと敬意を払い国賓とまでは行かないとしても礼を持って遇して欲しいものである。中国からの干渉に一々真面目に対応する必要はないと、同じ中国人が言っているのである。