baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 GW二日目

 今日はGWの二日目。昨日は夜遅く関越を飛ばして帰って来て、アドレナリンが奔出したので中々眠くならず、その勢いで本ブログを書いたりして朝まで起きていたので、今朝は少し寝坊した。この頃は睡眠時間が実に融通無碍で便利になって来た。今日は特段の予定もなかったので、昼から前々から作ろうと思っていた簀の子を作る事にした。台所の、洗った食器を置いておく水切り籠を乗せたりする簀の子を流しの上に置いているのだが、古い簀の子にカビが生えて黒く変色してしまったのである。同じ大きさの物を色々探したがどうしても見付からず、先日都心に出たついでにDIYの店で材木やステンレス釘を買い揃えてあった。
 簀の子を作るのは大した難事ではないのだが、普段使わない道具、鋸、鉋、金槌、定規、などを揃えるのが一仕事になってしまった。木工用の鋸など、何処に仕舞ったかも忘れたほど長い事手にしていない。材木の刻みは全て現場合わせでやっつけたので、これも長手方向が流しに納まらずに少々手こずった。それでも、子供の頃から工作が好きだったのは以前にも書いたが、小一時間で流し台に寸法がぴったりの特注簀の子が出来あがった。

 菅政権の福島原発事故に関わる行きあたりばったりの無責任な決定がまた波紋を投げかけている。学校の放射線量の屋外活動制限基準を20m㏜とした政府決定に、涙を流して抗議して、内閣官房参与を辞任した東大大学院教授の小佐古敏荘の政府批判が発端である。放射線安全学というその専門性を買われて就任した地位であった。小佐古曰くは、20m㏜などという危険な数値を認めたと言われる事は自分の学者生命が終える、のだそうである。
 これに対し菅直人は「専門家間の見解の相違」「国際機関でも復興期には1〜20m㏜を基準としていて、日本政府もこれに倣った」と簡単に受け流してしまった。本当にそうであろうか。通常は年間の放射線量を1m㏜と規定しているのを、今は復興時だからとその20倍の20m㏜まで許容する基準を示したのだから、良くは分からないながらも誰もが20倍はちょっと多すぎるのではないかと思うのは当然であろう。特に児童は放射線に対する抵抗力が弱い事は良く知られている。
 しかも、その後の枝野幸男官房長官の記者会見が、ものの見事に政権の狼狽振りを見せてしまった。曰く「政府として20m㏜を容認したものではない。放射線量は少なければ少ない程良いので、今後も20m㏜にまでならない様に努力するものである」。何とも見事な責任逃れの発言ではないか。放射線被曝を少しでも少なくするように努力するのは当たり前である。そんな事はわざわざ記者会見で言うまでも無い。問題は、政府として20m㏜を容認したものではない、という言い逃れを言った事である。容認していないのなら、何m㏜までなら容認するのか。放射線量などと言う、日頃無関係な数字は学校の現場の教師でも政府がはっきり基準を示してくれなければ判断のしようがない。その政府が、官房長官の記者会見でこんな訳の分からない、具体的数字のない発言をするのである。「...は安全です。でも念の為に避難する事をお勧めします」と同じ伝の言い逃れである。
 結局は20m㏜に代わる数字が示されない以上、20m㏜が今後の基準になるのであろうが、こんな無責任な遣り方で本当に日本の次代を担う子供たちの健康が守れるのであろうか。対象が児童であるだけに、総理や官房長官の無責任な対応に腸が煮え繰り返る思いである。もし本当に安全だと言うのであれば、国際基準に準拠しているなどと言う責任逃れの説明ではなく、もっと具体的な数字をあげて20m㏜がどの程度安全な放射線量であるかの根拠をはっきりと説明しなければ、誰も納得できないであろう。
 菅政権の無責任な場当たり主義は今や日常茶飯事で、本ブログでもそれを批判するのには飽きてしまったが、事がいたいけな児童の事となればやはり放って置く訳にも行くまい。何とも情けなくも不安な政権である。