baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 お粗末すぎる菅政権の危機管理

 菅政権の危機管理の危うさは何度かこのブログでも訴えたが、福島第一原発の事故に当たって、如何に素人集団が危ういかがこの頃改めて浮き彫りになって来ている。事故当初の危機管理体制が国会で改めて問題にされている訳だが、今更古い話を蒸し返しても仕方がないようなものの、やはりこのような危機管理能力が欠如した政権には危なっかしくてとても国を任せておけないという思いが募る。しかも無理をして政治主導などと身の丈に合わない主張を重ねるから、長年の経験が詰まった官僚の知恵が利用出来ずに益々素人臭さが際立ってしまう。話は逸れるが、官僚任せにすると官僚は利権確保の為に無駄な事をするので、官僚任せや、その利権の温床である天下りを野放しにしてはならないのは当然であるが、官僚の知恵と経験はフルに使わなければ国の損失である。もっとも、天下りは公務員の人事制度から手をつけないと、天下りだけを叩くのは片手落ちなのだが、僕の持論は以前にも書いたのでここでは省く。
 今問題になっているのは1号炉への海水注入が中断した件である。当時、原子炉の冷却が何はさておき一番大事な時であった。当時を思い出すと、自衛隊のヘリから散水してみたり、色々と試しては上手く行かず、結局高濃度の放射線を放出する現場に生身の人間が入り、一面の瓦礫の中を自衛隊東京消防庁ハイパーレスキュー隊が、放射線量計を片手に決死の手作業で海水注入を可能にした時である。石原慎太郎が、戻って来た消防庁の隊員を労うのに、涙で言葉が詰まってしまったほど、隊員一人一人にとっても本当に決死の任務だったのである。
 問題はその時の官邸の中での事であるから、もちろん正確にどういう遣り取りがあったかは外の人間には知り様がない。しかし、何故海水注入が中断されたのかの理由説明が、当初は斑目春樹原子力安全委員会委員長が「再臨界の危険性がある」と海水注入に待ったを掛けたという説明だったものが、当人の「名誉棄損」と言う直訴で急遽内容が変更されるドタバタ劇となった。その結果、何故注水が中断されたかの理由がはっきりしなくなってしまった。一旦始まった注水が中断されるという、明確な指示がなければあり得ない事象にはっきりした理由が無い筈はないので、誰が考えてもその理由を菅政権が隠しているとしか思えない。一旦は原子力安全委員会を人身御供にして逃げ失うそうとしたが、逃げ切れなかった。そこには間違いなく、何か公表したくない理由があるのである。
 これが今日国会で追及された。政権側は当然、自分達は精一杯やった、何も誤った行動は取っていない、と開き直りに懸命であるが、関係者が政権内部だけではなく原子力安全委員会が絡んでいるので普段と勝手が違い、口裏合わせが上手く行かない。事実を事実として答弁するのであれば、誰がどう答弁しても、多少の言葉遣いによるニュアンスの違いはあるにせよ、堂々と事実を述べれば良い。しかし本件では、何とか事実を歪曲して、黒を白と言いくるめて責任を逃れようとしているから、言葉選びが難しくて誰の答弁もしどろもどろになる。得意の嘘を付ければ良いのだが、外部の人がいるから嘘八百という訳にも行かない。その、しどろもどろさはまるでお笑い寄席を見ているようで、思わず笑い出してしまう。起きてしまった事なのだから下手な隠し立てをせずに、正直に事実を言ってしまい、その上でその判断の是非を争えば良いと思うのだが。
 国会中継を見ていると政府側答弁とは裏腹に、官邸側に何らかの誤判断があったのはまず間違いあるまいとの確信が強まる。責任逃れに必死の官邸側の言い分は、今度は恰も東電が勝手に止めたかの如きである。現場が一番切実に注水を要請していたようであるから、東電の現地や、ましてや命懸けで働いていた現場は心穏やかではあるまい。しかし今は諸悪の根源で、物言えば唇寒い東電だから、泣く子と菅直人には適わないと沈黙を守っている。傑作なのは、政府が斑目委員長に責任を押し付けようとした当初の説明を、当人の抗議を受けて急遽変更した事について追及されると、枝野幸男が言うに事欠いて「政府は一切言葉を擦り替えるような事はしていない。より正確を期すべく表現を変えただけである」と憤然として言い切った。本気でそんな事を言っているのなら、今後は枝野幸男の記者会見は捏造と虚言で埋め尽くされていると言われても仕方がないほどの、お粗末極まりない内容の擦り替えに対する強弁である。
 こう言ってしまえば無責任の誹りは免れないが、恐らくは巷に言われている通り菅直人が、海水を注入すると真水に比べて核反応が早まると言う説明を生半可に理解して、素人考えで再臨界を惧れた揚句に泡を食ってストップを掛けたものであろう。そうでなければどうしてみんなが、こうも寄って多寡って歯切れの悪い答弁を重ねるのか分からない。大体日本の政治家、与党経験のない民主党の政治家は特に、非常事態に対する訓練など過去に全く受けていないから、彼等に危機管理を委ねる事自体が無理なのである。本来ならばこういう時には政治主導を返上して、官僚の知恵を総動員して最善の策を作らせ、政治家はその結果に対する責任だけを取れば良い。それを全部自分達でやろうとするから官僚にはそっぽを向かれ、菅直人以下の政治以外ではずぶの素人が、中には政治にもずぶの素人が大臣などに名を連ねているが、生兵法で大怪我をしてしまう。せめて総理大臣にそれぞれの分野での優秀なヴェテラン・スタッフでもいれば良いが、日本の政治家は周囲を自分の秘書や政党の政治家で固めてしまうから、米国の様に新たに優秀なブレインを組織する事がない。結局今の政権がやろうとしている事は、所詮手に負えない無理難題に挑んでいる丈なのである。その目的は明らかに、危機管理ではなく単なる菅政権の延命である。
 この問題が引き鉄になったのか、1号炉のベントが経産大臣の命令から7時間も掛った理由が今日また追及された。実はこちらの遅れの方が海水注入の55分間の中断よりも遥かにダメージが大きいように思う。タラレバの議論は無意味とは言え、やはりベントが適切に行われていれば水素爆発は防げたのではないか、と言う意見は無視出来ない。個人的には、ベントが多少早かったにせよ結局水素爆発は回避出来なかった様な気がするが、しかしこの遅れが全く無意味な菅直人の政治パーフォーマンスによるものであった事は間違いないし、だから絶対にあってはならない遅れであったのである。危機管理どころか、危機の増幅だったのでる。
 敵か味方かも判然としない日本一の権力者が、しかも「切れ菅」と称される程自己抑制の効かない人格の男が、修羅場に突然出向いて来て死刑囚同然の東電に何を言い出すかも分からないのだから、現場の大混乱に拍車が掛るのは当り前である。下手な事を言いだされれば、後が大変だから帰ってくれるまでは細心の注意で接待する。そんな折に予定通りベントを実施して、その結果菅直人が過剰に被曝したら、後からどんなシッペ返しを食うかも分からないし、国際的にも大失態になるから、ベントを先延ばしにするのは東電の立場にしてみれば当然あり得る話である。これに対する政権側の答弁も同様にしどろもどろで、福島行きを決断した時間や自衛隊にヘリの出動準備を命じた時間などを追及されると、答弁は訳が分からなくなる。やはりここにも、公表できない事実が隠されているとしか思えない。
 自分がそのタイミングで出向く事は現場の混乱に拍車を掛けるだけだという事も配慮しない当人は、現地での打ち合わせが出来た事でその後の指揮がし易くなったので、行って良かったと強弁を張っている。しかし実体は、政治パーフォーマンスしか頭にない素人権力者が、混乱の極みの現場の邪魔をしに行っただけなのである。もし菅直人が本当に行って良かったと思っているのなら、内心は後悔していると思うけれど、菅直人は一国の首相の器ではないと自ら吐露しているようなものである。軍隊で言えば大将ではなく、小競り合いを戦う伍長か、精々軍曹ぐらいが適当な器なのである。
  ところで、これ程の政権追及の格好の材料がありながら、冒頭質問に立った谷垣禎一の何とも歯切れの悪い追及には、聞いていて腹がムズムズして来た。もっと一刀両断にスパッとやり込めないと、自民党もこれでは人気が上がらないのも当然である。