baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 フランチェスコ・トリスターノのピアノを聴く

 昨日は、フランチェスコ・トリスターノという、一見イタリア名だがルクセンブルグ出身で、ルクセンブルグ、ベルギー、フランス、米国で学んだ若手ピアニストの演奏会を聴きに行った。場所は白寿ホールという、小じんまりしたホールなので演奏者と聴衆の距離が近く、独特の雰囲気が生まれるホールである。
 曲目は、最初と最後が自作の即興的な曲で、中にバッハのパルティータの1番と5番、他を挟んだものであった。自作の曲はもはや僕の感覚ではクラシックの範疇をはみ出している。かと言って所謂前衛音楽でもなく、ジャズ的な響きは多いのだがジャズでもない。僕は不協和音に弱いので、得てして不協和音を多用したり極端なダイナミックスを付ける所謂前衛音楽は好みではないのだが、そういう不快感は全く抱かせない、何とも不思議な音楽であった。特に、ピアノを打楽器の如く叩いて、鍵盤ではなく文字通りピアノの木製部を叩いて、大小のドラムを並べて演奏するコンガを彷彿とさせる様な色々な音色を出したり、ピアノ線を直接手で鳴らしたりと、ピアノと言う楽器に対しても従来の枠をはみ出した演奏には吃驚した。しかし決して不快ではないのである。
 バッハのパルティータでは、複雑な和音の進行の中から旋律を極めて明快に際立たせていた。また、ピアノの音色の使い分けが上手で、時として中音ではハープシコードの様な響きを創り出してみたり、かと思うと、突然鋲を入れた西部劇に出て来る酒場のピアノの様な音が響いたり、と色彩豊かである。勿論ピアノと言う楽器ではそんなに色々な音は出せないから、厳密に言えばこちらの錯覚なのだが、それだけペダル遣いを含め、音創りが旨いのである。しかし、全体的には音が華やかに過ぎ、僕の懐いている、荘厳な教会と切っても切れないバッハのイメージとは少し異質であった。グレン・グールドの何処かにジャズの香りのするバッハとも異なる、何だか、楽しくて楽しくて仕方がない、底抜けに明るいバッハなのであった。
 実際、演奏しているフランチェスコは、ピアノを弾くのが楽しくて仕方がない、嬉しくて仕方がないように見えるのである。好きな事に没頭している子供の様に、全身から歓喜が迸って来るようであった。若い才能が、意図的にか結果的にかは分からないが、既成概念を取り払った音楽を創造しているようである。僕の年になると中々既成概念から踏み出せず、また踏み出す事には苦痛が伴う事が多くて結局保守的になるのだが、そんな僕にも大層楽しめる、不思議なコンサートであった。そして新たな音楽の息吹を感じたのであった。