baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 やっと久しぶりのツーリング

 今日は満を持してツーリングに出掛けた。昨日までの雨も明け方には上がって、雲は低く垂れこめているが、東京は夜までは降らないという予報である。張り切って夜明けと共に起き出したが、メールを開けたのが悪かった。こういう日に限って何か起きる。結局朝7時位に出発する予定だったのが、10時出発になってしまった。それでも空模様がすっきりしないせいか、最後の1000円高速の日だと言うのに東京周辺の高速はどれも渋滞していないとの交通情報である。その代わり、夕方からは雨に降られる覚悟である。何処へ行こうか、出発が遅れた上に、天気が怪しい事もあって少し悩んだが、やはり当初計画していた通り、先ず中央高速から上高地を抜けて飛騨は古川へ行き、そこから東海北陸道を通って日本一の断層がある根尾谷へ行く事にした。
 交通情報の通り、中央高速は少しも混んでいない。小仏トンネルも相模湖東も、スイスイと通り抜けた。ところが、行く先をかなり欲張っているので少しでも出発の遅れを取り戻そうとしたのがいけなかった。もう直ぐ長野県というところで、山梨県警の覆面パトカーに御用になってしまったのである。追い越し様に如何にも怪しげな車だったので中を覗き込んだが、窓にフィルムが貼ってあるか何かして中が全然見えないのでそのまま追い越して様子を伺ったが、スッと後ろに付く気配もない。あっと言う間に遥か後方に小さくなってしまったので油断したのがいけなかった。敵も随分とフェイントを使うようになっていたのである。暫くして、遥か後方に先程の車が赤い警告灯を回転させながら走っているのが見えたので、少し大人しくしていたのが仇になった。追いつかれて、前に出られて「パトカーに続きなさい」とリアウィンドウに電飾文字が出て万事窮した。
 一旦ICの出口にまで連れて行かれて、お説教と切符切りで大分時間を損してしまった。これからまた1年間捕まったらいかん、とかもう少しでゴールドだったのに悔しい、とか興奮冷めやらぬまま松本へ向かう。松本からは上高地の麓を抜けて安房トンネルへ。嬉しい事に安房トンネルは無料化実験対象路線で、今日まで無料であった。しかし、あんな山奥のトンネルを無料化してもそれ程経済効果はあるまいに、などとまた日頃の鬱憤を思い出してしまう。そこから平湯トンネルを抜けて飛騨高山へ向かう。そして、高山の市外に入る少し手前から89号に入り国道41号へ出て飛騨古川へと向かった。古川へは以前にも何度か言っているが、街並みに趣がある古い街で、そこに僕の御贔屓の酒蔵がある。久しぶりに旧い街並みを見て、時間があれば昔の建物そのままの喫茶店でコーヒーの一杯も飲みたかったのだが、今日はコーヒーは諦めた。

 これが僕の御贔屓の、江戸時代から続く作り酒屋である。バイクの奥は倉庫、その左が事務所、更にその左の、杉玉がある処が店舗である。その向こうが酒蔵であろう。

 どういう因縁か知らないが、横丁に回ると武満徹の碑がある。

 裏手には堀が割ってあり、堀沿いに蔵が立ち並ぶ、何とも風情のある景観が続く。

 これが杉玉である。新酒が上がると、これを店の上に飾るのだそうである。すると皆が新酒が上がったと分かり、買いに来るのだと言う。材料は杉の葉で、最初は緑色をしているそうである。非常に重くて、若い衆が5人位で梯子を掛けて担ぎ上げるそうで、今でも地元の新聞が毎年取材に来て写真を撮ると言う。この杉玉が作れる職人が、もう日本中探しても何人もいなくなり、値段も想像を遥かに超える高いもののようである。
 ひとしきりお喋りをして、好みのお酒を注文して、今度は一目散に94号線で東海北陸道へ向かう。この94号線がまた、殆ど交通がなく適度に峠も越える絶好のツーリングロードであった。次の目的地は根尾谷である。1891年10月におきた濃尾地震、M8.0という内陸地震としては破格の大震災の震源地と言われ、国の天然記念物になっている大断層がある場所である。たまたま先日読んでいた原子炉関連の本に出ていたので、急に行ってみたくなったものであった。しかし、名古屋方面へ向かう東海北陸道が大渋滞で一向にはかが行かない。イライラしながらもやっと美濃ICを出て、418号をひたすら根尾へ走る。この418号もまた、里山を間近にみやりながら田畑を縫って走る何とも長閑で景色の素晴らしいツーリングロードであった。この辺りは道も沢山ないので、迷わずに根尾に出たが時間は既に夕方の5時半、残念ながら地震断層観測館は5時で閉館しており中には入れなかった。しかし、明らかな断層が土手のようになっているのが分かる。草が茫々にはえているので荒々しさはないが、これだけ地盤の高低差がずれたら構造物はひとたまりもあるまいとの思いを新たにした。しかも、観測館の裏に回ると、断層に沿って鉄道が走っている。樽見鉄道と言う、東大垣と樽見を結ぶ単線の一両編成の汽車のようだが、昔は断層の事も分からずに敷設した鉄道なのであろう。今でも現役の、何とも蛮勇な鉄道である。



 結局根尾を出発したのは6時半、それから瑞穂経由再び東海北陸道に入り、美濃の少し手前で東海循環道に分かれて土岐ジャンクションから中央道へ戻った。久しぶりのまともなツーリングだったので、流石に少し疲れた。しかし結局雨は、岐阜と長野で二度ばかり少し俄雨に降られたがカッパを着る程でもなく、東京は夜になっても雨の形跡はない。やはり僕は結構な晴れ男であるようだ。今日の総行程は883.4km、帰着は23時半になってしまった。