baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 政治に弄ばれる原発

 菅直人が今日、日本の総理として初めて脱原発を表明した。例の大向こうの受けをねらったパーフォーマンスだが、命脈長くは無い総理が幾ら今後の政策を発表しても誰も真剣には受け取れない。どう考えても菅直人本人の選挙運動なのである。自分自身が半年前にはクリーンエネルギー推進で原発依存率を2030年までに53%にまで引き上げると表明したばかりである。その舌の根も乾かぬ中の大方針転換である。と言うか総選挙を視野に入れての人気取りであるのは間違いない。本ブログの読者の投稿にもあったように、菅直人は元々は反原発であったのが、クリーンエネルギーが主流の時には原発推進、一度福島で事故が起きれば脱原発、といとも縦横無尽の変身振りなのである。別の言い方をすれば、政策に全く一貫性が無く、思い付き発言に終始するのがこの人の特徴である。
 事は日本のエネルギー政策の大転換である。菅自らが本件は議論を要すると言っているのだが、その張本人が何ら議論を経ずに、総理として発言をしてしまう。総理大臣としての自覚などは最早微塵もないのであろう。出来る限り現政権を延命させ、その間に少しでも次期総選挙で自分が有利になるような発言を重ねているに過ぎない。しかし実際には単に脱原発という一面的な捉え方ではなく、CO2削減の問題、エネルギーコストの問題、エネルギー供給量の問題、などを総合的にデザインして長期的なエネルギー政策を立案する事が求められる、事は国の根幹に関わる問題なのである。太陽光発電にしても、ソーラーパネルの設置には緑地の伐採が付き纏う。幾ら総理だからと、ある日突然思い付きだけで軽々と発言出来る問題ではないのである。しかし菅直人は、平然とそれをやってしまう。
 会見場の記者からは、先般の松本龍災害復興担当大臣辞任の際に記者会見を申し込んでも受けて貰えなかった。自分の都合の良い時だけ記者会見を開くと言う今の遣り方は止めて欲しいと苦言が呈せられていた。幾ら面の皮が厚い菅直人と雖も、流石に憤然と聞いていた。しかしこの記者の指摘を待つまでも無く、この総理は自分のパーフォーマンスの為にしか国民の前に出て来ない。全ては自分の票の為であり世論への迎合であるから、国の為、国民の理解を得る為、などと言う考えは微塵も出て来ない。しかも辞任の時期を問われると、今まで既に言って来ているからそれを参考にして欲しい、と相変わらず一切言質を与えない。
 与党からも、最近の菅直人は共産、社民に共感する処が多く、一市民運動家になっているとの批判があると言う。市民運動家も、野党としては結構であろう。幾らその発言が無責任であろうとも、政府の方針にブレーキを掛け、鋭く批判をするのも時としては無意味ではあるまい。しかし、市民運動家が一国の宰相になった時の悲劇が今日の日本である。菅直人は、批判は上手でも自分で舵を切る政策も才覚も覚悟も経験もないから、何でも思い付き、周囲との議論もせずにいきなり公言してしまう。その都度、日本は振り回されて大騒ぎである。特に経済界は大混乱に陥ってしまう。
 与党議員が総理の早期辞任を仙石由人官房副長官に申し入れたと言う。国会審議は何一つ進まず、その間に菅直人は延命と票集めの為に次から次へと新しい思い付きを発表するのだから、与党議員の焦りも良く分かる。昨今は反原発が一番票に繋がると計算しているようで、反原発の発言ばかりに終始している。そこには、総理大臣としてのバランス感覚は完全に欠如しており、日本経済への配慮は少しも感じられず、偏に票集めしかない。現実には、レーム・ダックが何を言っても一向に重みは無く、ただ空虚な言葉が積み重なって行くのみなのだが、それでも一時は国中が混乱するに十分な総理発言である。
 事前の議論無きまま、総理の突然の思い付き国会答弁で、定修が終わった原発の再稼働が見送られてしまった。菅直人を早く辞任させて、震災復興や国政、外交を一刻も早く正規の軌道に乗せなければならないのに、一人の異常な総理のお陰で国中が右往左往している。それにしても、菅直人原発問題まで自己の政治の材料にしてしまうので、本来は国民全体が今こそ立ち止まって熟慮すべき時なのに、その原発問題がいとも軽い政治問題にすり替わってしまっている。これも菅直人の重大な罪である。