baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 タイプライター

 今日は昔話を書こう。どうしてそんな気になったかと言えば、昨日参加した毎年恒例の、パリのトゥール・ダルジャンのカーヴィスト、林秀樹氏のワイン会で1972年製のワインが2本出て来たのがきっかけである。僕の感覚では1972年はそう遠い昔ではないのに、同席した人が自分の生まれ年だと言い出してはっと気付かされたのだ。1970年代と言うのは、もうそれ程昔なのだった。それと、先日携帯の事をこのブログに書いていて、ふと昔のタイプライターの事を思い出したのもある。それならば僕には当たり前だったタイプライターも、ひょっとするともう骨董品の部類に入り、余り知らない人もいるのかも知れない。そうだとすれば、こんなブログも人によっては興味を持って読んでくれるのかな、という塩梅である。
 僕は学生時代の夏休みににタイプを打つ教室の夏期講習に通った事があるので、タイプを打つのは相当早いと自負している。今でもパソコンの入力は上手な部類だと思う。ところが片手で小さなキーをチョコチョコ打つ携帯の入力は、そもそも性に合わないし物凄く遅い。同じキーを何度も叩くなどと言う能率の悪い事をやっていると、回数を多く叩き過ぎて文字が行き過ぎたりするから、益々遅くなる。何とも不便な物が流行り出した物だと少し腹立たしい。
 今から40年程も前に僕が習ったタイプは文字通りの、手動式タイプライターであった。リロイ・アンダーソンがオーケストラの曲にした、「カタカタカタカタ、チンッ、ガシャッ」と言うあのタイプライターである。昔はイタリアのオリベッティだとか日本のブラザーなどがポータブルタイプでは有名であった。電動タイプはもうあったのかも知れないが少なくともまるで普及していなかったし、勿論ワープロなどという文明の利器は未だ無かった。1970年に僕が就職した時は、事務所に手動式タイプライターが何台か置かれていて、外国向けの書類は自分でタイプで作らされた。会社には専門のタイピストもいたが、和文タイプが主で英文タイプのタイピストが一般社員の仕事を手伝ってくれるようになったのは、大分時代が下ってからであったように思う。因みに和文タイプと言うのは、何千字という活字が埋まっている台から必要な活字を探し出して、一字一字その活字を打って行く、専門技術のいるタイプである。英文タイプに比べると活字の量が桁違いだから、現在のワープロの普及は当時と比べると人類が月へ行くよりもっと凄い事かも知れない。
 当時は未だ複写が大変な時代だから、タイプ用紙と言うのは比較的薄い上質な紙で、何枚か重ねて間にカーボン紙を入れて打つのが普通である。これは、英文タイプも和文タイプも同じである。そして、全て機械式だから、キーを打つ力加減がバラバラだと打ち上がった書類の文字に濃淡がそのまま出来てしまう。だから指の力加減は均一にする必要があった。薬指や小指は力が弱いから得てして薄くなりがちで、X、Z、Qなどは特に注意が必要であった。文字はインクリボンからの転写とカーボン紙による印字である。間違えると練り消しゴムで、重ねてある枚数分を一々ペタペタと消した。練り消しゴム専用の、薄い透明なプラスチックに活字一字分の大きさだけ四角く穴が明けてある下敷きのような道具もあった。その穴を消す文字にあてて、上から練り消しゴムでペタペタやると、周囲の文字が汚れないという優れ物であった。
 書式が印刷されている書類に必要事項を打ち込むのは、結構熟練を要した。タイプライターは、キーを打つとその文字だけが伸び上ってパカンと紙を打つ。その伸び上る距離が、機械によって微妙に異なるから一応どの辺りに文字が打たれるかのマークはあるのだけれど、どうしても下手がやると行が揃わない。特にタイプミスを訂正するのは難しかった。打っている時に直ぐに気が付いて、紙を挟んだままペタペタ出来る時には問題ないのだが、打ち上げて紙を取り出してしまった後にミスに気が付くと大事であった。まず打ち上げた枚数だけ光に翳しながらピッタリ重ねてゼムクリップで固定する。そこへカーボン紙を一枚一枚挟んで行く。そしてそのままタイプライターにセットするのだが、その時に上下、左右をピッタリ合わせないと訂正するところだけ字が躍ったり、酷い時には隣の字に重なってしまったりするのである。同じところを二度間違えたら、大体全部打ち直しになる。
 昔はこんな不便、と言うか人間的な道具を使っていた。それどころか、出張する時にはポータブル・タイプライターや必要と思われる書類の用紙、カーボン紙、練り消しゴムなど一式を持ち歩いたものである。特に1980年代の中国やベトナムは、地方に行くとテレックスぐらいしかないのが普通で手ブラで出掛けたら仕事にならないのであった。だから出張には何時も身の回りの品とは別に、タイプライターと文房具一式を持って歩いていた。そう言えばベトナムでは、ホテルのメニューがしょっちゅう品切れになるので、缶詰めも持って歩いたものであった。だから今の様に機内に持ち込める程度の大きさのキャリーバッグで出張するなどと言う事は思いもよらず、何時も30kg用のスーツケースをぎゅう詰めにして持ち歩いていたものである。今は昔。