baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 国立・国定公園内の地熱発電

 環境省が国立公園、国定公園内での地熱発電所建設を条件付きで容認する事になるらしい。僕は別にこの決定に頭から反対する者ではないが、決定のプロセスが少しおかしいのではないかと言う疑問は払拭出来ない。国立公園、国定公園日本民族が後世に伝えるべき風光明美な自然を保護する目的で設けられたものである。其処へ不細工な、逆立ちしても自然とは相容れない、地下資源の掘削装置や発電所の常設を許可する前に、先ず議論して国民的なコンセンサスを得るべき事柄があると思うのである。
 それは日本のエネルギー政策をどうするか、という日本経済の根幹に関わる問題である。日本のエネルギー政策の現状は、菅直人ポピュリズムに端を発した表層的な感情論に支配されている様に思われる。即ち、福島第一原発の事故を受け、エネルギー政策の全体を俯瞰する事なく原発停止、再生可能エネルギーへのシフト、と言う流れになっている。もとより全体の流れとして端から誤っていると言う心算はない。ただその理想を実現する為の道程をどうするかと言う議論を置き忘れて、いきなり理想に飛躍している。
 この数十年の流れであった原発を一朝一夕に廃止する事には、その善悪は別として聊かの無理がある。いきなり再生可能エネルギーにシフトすると言ってもキャパ的にもコスト面でも再生可能エネルギーが需要に対応しきれないと言う厳然たる現実がある。そして再生可能エネルギーには、発電容量が自然に大きく左右され安定しないという弱点がある。その上、再生可能エネルギーは電力会社が高値で買い取る義務を負わされる。そのコストの逆鞘は結局は消費者にツケ回される。そして高値で買い取って貰える保証があるから、孫正義を筆頭とする利益追求に飽くなき経営者は、早速再生可能エネルギーによる大型発電所を建設するとぶち上げる。その発電事業から出て来る赤字は我々国民が電気代として負担し、図々しく投資する企業は、損失のリスクなく儲ける図式となる。
 話を本題に戻そう。地熱発電は、先ず発電能力に限度があり大発電所の建設は難しい。精々地域に給電出来る程度の中規模発電所が精一杯である。そして、地熱資源には寿命があり、未来永劫ではない。地熱発電とは、地下から水をくみ上げる過程でマグマの高温により地下水が沸騰し、その時に発生する蒸気を使って蒸気タービンを回して発電する。発電に使われた蒸気は更にボイラーの燃料として使われる事もあるが、役目が終わって水に戻ればまた地下に戻され、そこでマグマにより蒸気にされて、と言うリサイクルである。時としては追い焚きが必要な事もある。その時は石炭や石油、天然ガスなどの化石燃料が使われる。そしてそのリサイクルが、或る日回らなくなる。地下から汲み上げる水の温度が下がってしまい、最早発電に使えなくなる日が来る。その日が何時かは、今の技術では特定できない。しかし、何れその日が来る事は分かっている。
 その程度の発電所の為に、風光明美な自然を破壊してまで地熱発電所を国立・国定公園内に作る意味が本当にあるのかどうか、日本のエネルギー政策の全体像が全く不透明な今、環境省の独断でそんな重大な結論を出させて良いものか、僕は釈然としないのである。太陽光発電も同様、広大な地面にソーラー・パネルを敷き巡らして天候に左右される不安定な発電設備を作り、高値で電力会社に買い取らせる意味が本当にあるのであろうか。太陽光発電は、一般家庭の補助電力とするか、精々がビルの補助発電設備とする程度が日本では妥当ではないかと思うのである。消費者が高値の電力を買わされるのなら、極論すれば原発を今後も推進しようとしている韓国から海底ケーブルで電力供給を受ける選択肢だってあるのである。福島第一原発の事故を契機に一億総ヒステリーに陥る事無く、次世代、次々世代の為に我々は冷静な判断を下す責務を負わされている。