baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 原発再稼働を巡って

 佐渡で自然環境に放たれたトキに雛が誕生したと言う。放鳥された後に行方が分からなくなったり、憎きカラスに卵を食べられたりと、何ともひ弱いイメージが拭えないトキに、やっと自然環境の中で二世が生まれたと言う嬉しいニュースがテレビの速報で流れた。未だ何組かが抱卵している筈だから、今日生まれたトキに続いてみんな無事に孵って欲しいものである。そうしてそう遠くないうちに、新潟だけではなく日本のあちらこちらで、空を自由に飛ぶ朱鷺を目にしたいと思う。
 相変わらず原発再稼働に向けて、色々な意見が錯綜していて喧しい。この問題では大声で賛成と言えば袋叩きにされるので、誰もが曖昧な発言に終始するから何時まで経ってもはっきりしない。僕は当面は原発再稼働推進派である。勿論、従来の安全基準を折角見直したのだから、新たな安全基準にそぐわない原発は動かしてはならないが、先ずは従来の価格で電力の安定供給をする事が先決である。こんな僕の意見に反対の人は多いと思うが、反対するならば代案をしっかり示して欲しい。何時も言うが昨年までの50年もの間、発電時には二酸化炭素を排出しないクリーンエネルギーとして、またコストの安いエネルギーとして、国を挙げて原発を推進して来て既に総発電量の3割を占めるまでになっているのだから、今急に原発を全て止めるのには無理がある。そしてこの50年の間、特定の外国と手を組んで日本をダメにしようとする極く一部の人たちを除けば、大部分の国民は誰も原発に異を唱えなかったのだから、国民も政府に連帯責任がある。
 再稼働に反対する人に僕が求める代案は、当面は現実性の乏しい再生可能エネルギーといった夢物語では話にならない。既存設備で需要は十分賄えるといった、コストや効率を完璧に無視した数字の故意の読み違いも受け入れられない。コストの問題は日本経済の競争力にとっては極めて重要だから、この問題が現実的に解決され得る代案でなければならない。そういう現実的な代案がない限りは、いきなり原発を止めれば日本の経済は立ち行かない。もっとも日本の経済が崩壊して電力需要が今の7割になれば原発は動かさなくても良くなるが、その時は年間30万人ぐらいの自殺者や餓死者が出るかも知れない。少なくとも、原発事故よりも酷いことになるのは間違いない。
 政治家は原発の再稼働が必要だと信じるのなら、声高に意見を言うべきである。単なる先延ばしも許せない。再稼働させる前にすべき事があるだとか、まだ明確になっていない問題があるだとか、それらを個々に聞いていれば別に間違ったことを言っている訳ではないが、それを原発再開の条件にすれば単なる粗探しに過ぎなくなる。原発が危険であるのは論を俟たないから、その安全性を極める事に終わりはない。原発が稼働している限りは、常に安全性は追求され、打てる手は何でも打たなければならない。しかし終わりのない事を条件にすれば、反対と言わずとも反対しているのと同じ事で、何時まで経っても再稼働は実現しない。
 大飯原発では、新たに拡大された警戒区域に引っかかるからと、滋賀県知事や京都府知事が、福井県知事を差し置いて出しゃばった反対意見を声高に叫んだのも全くもって気に入らない。僕の目には、彼らの意見は単なる票集めの人気取りで、そこには日本の経済を全く無視した無責任なポピュリズムしか見当たらない。幾ら地方の首長に過ぎないとは言え、余りにも無責任な発言である。国があって初めて存在し得る地方自治体ではないのか。しかしちょっと穿った見方をすれば、この二人は大飯原発を再稼働させるのなら自分達の所にも金を落とせと脅しているのかも知れない。原発を抱える地方自治体は、原発のお陰で大層潤っているのは紛れもない事実なのだから、そのお零れに預かりたいという卑しい根性がこの二人に大声で反対させているのかも知れない。
 そのポピュリズムの最たる者が橋下徹である。はったりがきつくて当初から好きにはなれなかったが、それでも口を開けば歯切れが悪く、迷走ばかりを続ける民主党政権にイライラしている時に、ズバズバと物事を断じる舌鋒には正直溜飲を下げられた事が多々ある。中身には大きな開きがあるとは言え、東の石原慎太郎と西の橋下徹の歯切れの良い発言には、往々にして拍手喝采であった。しかし、こと原発再稼働に関しての橋下徹の発言は、ついに馬脚を現したとしか言い様がない。地元に原発がないのを良いことに、確たる代案もなければ日本経済全般に対する俯瞰もなきまま、今般ばかりはつまらない粗探しの発言にしか聞こえない。しかも原発再稼働には絶対に反対であると明言せず、今の状況ではと言う条件付きの反対だから、単なる人気取りとしか思えない。
 世間では原発反対、脱原発の声が大きい。しかし地方選挙となると、例外なく原発推進派が脱原発派を大差で破っているそうであるから、政治家はもっと本当の民意を汲み取って、言うべきは堂々と言うべきである。一部の人の大きな声に慮って道を外したり、徒に結論を先送りするのは何もしないよりも質が悪い。