baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 バングラデシュへセンチメンタル・ジャーニー

 実は今日から早々と夏休みを取り、バングラデシュにやって来た。本ブログのアーカイブスからジャンルでバングラデシュを選ぶと、昔のバングラデシュの想い出を書いたブログが出てくるように、僕は1974年から3年半バングラデシュに駐在していた。その後も何度か出張で行っているが、最後に行ったのが1996年ともう16年も前の事である。最近はバングラデシュも随分発展したようなので、一度目の黒いうちにその後のバングラデシュを見てみたくなったのである。
 朝の便で成田から先ずシンガポールへ行き、シンガポールで3時間半ほどの待ち合わせでバングラデシュの首都ダッカ行きに接続する。時差で言うと、東京を基準にシンガポールが1時間遅れ、ダッカは3時間遅れとなる。余談だが、シンガポールは経度から言えば2時間遅れ位が適当なのだが、金融の拠点となるために政策的に時間を早めて香港と同じ時間帯になるようにし、時差による不利益を排除したのである。如何にも中国人国家らしい計算高さである。その為、シンガポールの早朝は他のアジアの国に比べるとずっと暗い。
 昔はダッカへは、未だシンガポール便がなくバンコクから週二便しかないタイ国際航空で往復していた。バングラデシュビルマの国境にあるアラカン山脈上空は一年中気流が悪く、当時の小さなDC-8では何時も大揺れしていたものであるが、今日の飛行機はB787だろうか、機体制御の技術も発達しているし機体そのものも大きくなっているので、大した揺れも無くダッカに到着した。
 ダッカの飛行場で税関から出たときにはもう夜の11時を回っていたので、流石に未だ町の案配は良く分からない。飛行場に乞食がいなかった事が印象的である。乞食の代わりに、身形の良い12-13歳位の子供が車を待っている間に何気なく近づいてきた。何とも胡乱なので鞄を抱えるように近づけたら直ぐに遠くへ行ってしまった。イタリーやスペインによくいる子供のひったくりのようである。昔はこの手の泥棒はいなかった。
 飛行場から外に出ると車の渋滞が想像以上である。そしてトラックが多い。タクシーはと言えば、ボディがデコボコでとても原型を保っているとは言えない小さな、スターレットの様なインド製の車が、屋根に大きな籠を積んだりして走っている。僕はホテルのピックアップサービスを頼んであったのだが、取り敢えずこれが大正解であったようである。慣れない飛行場で、しかも夜の事だから確信は無いが、飛行場ではタクシーらしい車は見当たらなかったのである。そして仮に飛行場で並んでいたとしても、あのタクシーにはちょっと乗る気にならない。道では四輪の他に、昔はベイビータクシーと呼んでいた三輪タクシー、インドネシアで言う処のバジャイが未だ沢山走っていたが、多くのベイビータクシーは左右の横一面に丈夫な金網を張っている。泥棒よけか衝突の際の安全確保かは分からないが、何れにしても町が物騒になっている証左のようである。
 ホテルはダッカでも一、二を争う高級ホテルと言われているホテルで、造作は成る程中々立派だがどうも細部が到底一流ホテルのレベルではない。掃除も行き届いていないし、細かな調度品がしっかり納まるべき処に納まっていない。レセプショニストも口は達者だが、やることは洗練されていない。まだ高級と貧困が上手く馴染んでおらずチグハグなのである。それでも流石に部屋は立派で、およそ外界の猥雑さとは隔離されている。
 先ほど昔僕が一人で住んでいた大豪邸の前を通った時はもう昔日の面影は跡形もなくなっており、何やらモールの様な大きな建物が建築中であった。どうやら昔のダッカはもう遠い彼方に埋没してしまい、今新しい町作りがすすんでいるようである。明日、明るい日の光の下で町を観察するのが楽しみである。何か記憶の琴線に触れる景色が少しでも残っていたらお慰みである。