baiksajaの日記

目前の一秒を大切に

 バングラデシュへセンチメンタル・ジャーニー(V)

 バゲルハットには世界遺産に登録されている15世紀のモスジッド群があると言う。僕の駐在時代のバングラデシュは食べるのもままならない時代だったから、世界遺産に指定されるような遺跡があるなどと言う話は一度も聞いたことがない。今回のバングラデシュ訪問の目的の一つは、あのバングラデシュ世界遺産があるのなら、是非見てみたいと言う事であった。僕はずっと東京で生まれ育ち、東京を初めて離れたのはバングラデシュに駐在した時である。帰国してからもまたずっと東京住まいだったから、インドネシアに愛着が出るまではバングラデシュが第二の故郷だったし、今でも未だバングラデシュには他の国とは違う思いがある。そのバングラデシュ世界遺産に登録された遺跡があったと聞いても、極端な貧困と無秩序な街のイメージが邪魔をして実は全く想像出来ないので、百聞は一見にしかずと思い立ったのである。
 ホテルには英語の通じる車を頼んでおいた。乗る前に念の為にもう一度フロントに英語は通じるねと念を押したら、少しだけと言い訳がましい答えが返ってきた。何だか不安になったが、とにかく多少でも通じれば何とかなるだろうと乗り込んだ。乗り込んだ途端に行き先も確認せずに走り出したので、何処へ行くのか聞いたが返事がない。肩を叩いて「英語は分かるか?」と訪ねたら「No English」と言う。それから先は何を言っても無言か「OK、OK」かで全くコミュニケーションが取れないのである。諦めて任せる事にした。ホテルのフロントには一応バゲルハットに行くと伝えてあるし、他に外国人がわざわざ行く処もなさそうだから大丈夫だろうとは思いながらも、一体何処へ連れてゆかれるのか一抹の不安はあった。
 クルナからバゲルハットへの道はジェソールからの道ほど交通量が多くないので、チキンレースに同乗する程の事もなく、懐かしいバングラデシュの田舎道の景色を眺めていた。30分程で「着いた」と言う。普通の道の道端に止まっただけである。下りて周囲を見回したら門の中に遺跡らしいものが見えた。目の前ではもう乞食が手を出している。門を入ろうとしたら横から大きな声が聞こえる。太い鉄格子の嵌まった窓の向こうから、切符を買えと怒鳴っているのであった。100円払ってからもう一度門に戻り、中に入った。

 これが世界遺産になった15世紀のマスジッド群の中でも一番立派なマスジッドであるシャイト・グンバッド・マスジッドである。屋根を覆っているドームは77あるそうである。

 内部は薄暗く、柱が林立している。ところが西側の壁に誂えられた、イマームが礼拝を導くミンバールと呼ばれる場所に近づくと、天井からファンがぶら下がり、電線が頭上をよぎっている。写真の右下に写っているのは募金箱である。内部は壁も床もかなり荒れている。

 外に出れば四隅の塔に付けられた外部からの照明は写真のように興ざめの電灯である。煉瓦作りなのであちらこちら煉瓦が傷んでいるのだが、それもまた無造作に白いセメントで修復されている。

 すっかり白けてしまったが、それでも割に整備された園内を散策した。少し離れて見れば、それなりに歴史を感じさせる建物なので、何とも勿体ない気がした。

 ブラブラと歩いていたら地元の女性が写真を撮って欲しいというので撮ってあげた。別に住所を言う訳でもなく、撮った写真が欲しいとも言わずにお礼を言って嬉しそうに去って行った。泣いてる子供を放っぱらかしてまで、どうして写真が撮って欲しかったのかが全く分からない。不思議な心持ちであった。

 出る前に、出入り口の横に建てられている博物館に寄った。バゲルハットで見付かった当時の器物が展示されていると言うふれこみだが、説明もろくに付いていないので何がなんだか分からない。ガイドと思しきみすぼらしい身形の男が勝手に従いて来て、分かり難い英語でしきりに説明しようとしてくれるが、正規のガイドなのか物乞いなのか判然としない。早々に博物館を後にして車に戻ると、運転手はまた行く先も訊かずに走り出した。
 次はカーン・ジャハーン・ジャハネル・ショマディショウド廟へ連れて行かれた。この名前は日本から持って行ったガイド本を頼りに書いているだけで、現地では何も分からない。15世紀にバゲルハットを作ったカーン・ジャハーン・アリ将軍の墓を祀ってある廟である。思ったほどの建物ではないので、早々に立ち去ろうとしたら、どうしても中へ入れと門番がうるさい。仕方がないので靴を脱いで中に入った途端に、外に座り込んでいた物乞いのような女が僕の靴をさっと離れた処に持って行ってしまった。中ではまた訳のわからないガイドが付いてくるが、今度は英語もろくに話せない。帰ろうとすると金を呉れと言うから小銭を渡し、門のところでも女に小銭を渡して靴を返して貰った。

 内心はもう十分であったが、車に乗ると運転手がまた勝手に走り出す。何処へ行くのか問いただすとクルナに戻ると言っているらしい。高い料金を取られた挙げ句にこの二ヶ所だけしか見られないのは割に合わないので、もう一ヶ所別のマスジッドへ行かせた。ガイド本に書いてある固有名詞を言ったら何とか通じ、運転手はあからさまに嫌々ながらも、場所が直ぐ近くだったので連れて行ってくれた。

 これがそのジンダヒル・マスジッドである。着いて車を降りるとすぐに横の家からバラバラと人が飛び出してきた。上半身裸の老人はこのマスジッドのイマムであると言う。また捕まってしまった。ろくに掃除もしていないマスジッドの中へ、靴を脱いで連れ込まれた。カーン・ジャハーン・アリは普通のイスラム教ではなくスーフィーと言う邪道な分派のイスラム教を信奉していたとはガイド本で知っていたが、その伝統が未だ守られているようで、中で壁の穴に指を当てその指に口付けをさせられたり、イマムが頭を触ってお祈りをしてくれたり、有り難迷惑な上に金が掛かるのであった。山羊の糞を靴下で踏まないように気を遣った。
 どうしてこんな処が世界遺産に登録できたのか全く分からない。バングラデシュを経済的に支援しようと言う政治的な思惑が働いたとしか思えない。アクセスも悪いし、観光地として何も整備されていない。行く処、行く処で金をせびられ、頼みもしないお節介、と言うか物乞いの商売でまた金を取られる。そもそも遺跡自体の保存は悪いしメンテナンスもなっていない。遺跡を見せるシステムも全く出来ていない。世界遺産を語るのは詐欺に近いと言うのが率直な実感である。まだまだバングラデシュは観光客を誘致するのは時期尚早である。例え乞食の一掃は無理だとしても、とても民度が伴っているとは言い難い。
 車に戻ると、今度は運転手は問答無用で戻ろうとするので僕は堪忍袋の緒が切れた。内心はもう観光は十分なのだが、やり口が気に入らない。吃驚した運転手はホテルに電話を入れ、ひとしきりホテルに怒鳴っていたがそのうちに僕に電話を渡した。僕は怒った。英語も分からない運転手を付け、観光と言っておいたのに全然観光させてくれない、こんな事なら約束の金は払えない、と言い募った。この頃になって分かったのだが、運転手はホテルからいい加減な事を言われて二束三文で雇われていたのである。時間貸しの仕事などと言う話ではなかったのであろう。その後、運転手とホテルはしばらく言い争っているようであったが、急に運転手がニコニコしだした。恐らく値段が上がったのであろう。
 漸く少し遠回りをしてくれて、これまた世界遺産に登録されているシュンドルボン国立公園の方へ走り出した。しかし広大な沼地を見た他はこれと言って見るべき処もなく、これはセメント工場だ、これは薬工場だとベンガル語で説明してくれても興味も湧かない。結局は程なくクルナへ戻った。愕くべき事に、僕の車のレンタル代がちゃっかり2000円も増額されていた。もう本気で値切る気力もなく、半額にさせて善しとした。
 何だかくたびれ果てて、夕食に下りた。夕食では予定通りカレーを頼んだら、流石にカレーだけは美味しかった。昼もカレーにすれば良かったと後悔した。夜もアルコールは一切なく、考えてみると僕は9年ぶりに終日一滴も酒を飲まない日を過ごした。それでも、心配した禁断症状が出ることもなく無事に翌朝を迎える事が出来た。早朝のジェソールまでの道は未だ交通量も通行人も少なく、前日のような手に汗握る道中にはならなかった。しかし、返す返すも世界遺産とは程遠い観光地であった。あんな場所が世界遺産として認められるのなら、日本の申請は何処の申請であろうと撥ねられる訳がないのに現実には撥ねられている。ユネスコ世界遺産ダブルスタンダードなのだろう。